空へ!!

旅行やマイルの話を中心に、たまにグルメやラーメンの話など気ままなことを好きなように書いている大阪発信のブログです。

大阪-散策

大阪 平野郷の春を散策してきました ~3

南海平野線の跡を訪ねて 南海平野線とは 南海電車平野線は、平野駅と天王寺、恵美須町を結んでいた南海電車の軌道線で、その内西成区今池町から平野駅の区間を南海平野線と呼んでいました。1914(大正3)4月に阪堺電気軌道(初代)平野支線として開業…

大阪 平野郷の春を散策してきました ~2

大念仏寺 融通念仏総本山のお寺 JR平野駅から国道25号線を横断したすぐ奥に大念仏寺は有ります。ここ大念仏寺は比叡山延暦寺の僧良忍が1127年に創建しました。日本最初の念仏道場です。 一時期は後継者に恵まれず、寺勢は振るわなくなりましたが、1…

大阪 平野郷の春を散策してきました ~1

平野郷の歴史散策 平野郷って何 大阪市の最南東にある平野の地。平安時代初期には坂上田村麻呂の次男である坂上広野麻呂の荘園がここ平野にありました。「広野」が訛って「平野」になったと言われています。862年には杭全神社が創建されています。 広野麻…

大阪・西成あいりん地区の今を歩いてきた

大阪・あいりん地区の現状 歴史的背景 明治時代の大阪市内の木賃宿規制により、木賃宿とスラム街は大阪市外の今宮村にある釜ヶ崎(あいりん地区)に移転してきました。木賃宿は元々は都市流入人口の一時的な対流地の役割を果たしていましたが、その後失業者…

大阪市内のローカル線「南海汐見橋線」に乗ってきた

南海汐見橋線とは 南海汐見橋線の路線は 始発は京セラドームにほど近い汐見橋駅です。 阪神なんば線と大阪メトロ桜川駅に接した小さな駅。 ここから南へ天下茶屋の一駅先の岸里玉出駅まで 5つの駅の約4.6㎞を9分かけて2両編成で走ります。 始発は6:…

大正昭和のモダニズム レトロな大阪の建物巡り~4

北浜周辺のレトロ散策 旧武田薬品本社(杏雨書屋) これが世界的大企業である武田が1992(平成4)年まで本社を置いた建物です。1928(昭和3)年築のレトロなビルです。 設計は片岡建築事務所です。現在は、武田科学振興財団が運営する杏雨書屋があ…

大正昭和のモダニズム レトロな大阪の建物巡り~3

船場周辺のレトロな建物 丼池繊維会館 丼池筋に建てられた丼池繊維会館もまた、歴史的価値を継承する大阪のランドマークです。1888(明治21)年に設立された愛国貯金銀行は、当時大阪で屈指の規模を誇った貯蓄銀行でしたが、繊維会館は元々はその店舗…

大正昭和のモダニズム レトロな大阪の建物巡り~2

大阪市西区を散策 京町ビル 靭公園の手前、四つ橋筋沿いに建つ京町ビル。圧倒的な存在感があります。このビルは、1926(大正15)年に建てられました。設計は岡部顕則氏、施工は安藤組です。 地上5階地下1階建てのこの建物、作られた当時は4階に清和…

大正昭和のモダニズム レトロな大阪の建物巡り~1

大阪市内のレトロな建物を巡る散策 以前の記事から 以前、大正昭和のモダニズム 大大阪時代の香りを探して中之島船場散策という記事を書きました。大阪市内にはまだまだ大正から昭和初期の建物が沢山残っています。 itmbase.hatenablog.jpitmbase.hatenablog…

晩秋の大阪城を散策してきました

大阪城の歴史 豊臣大坂城 (大坂城は江戸時代まで、大阪城は明治以降で表記しています) 大坂城は、もともと織田信長が宿敵としてきた石山本願寺があった場所に、本願寺が退去した後に織田信長が城を築くはずでした。ところが1582(天正10)年に本能寺…

梅田でキャンドルナイトに遭遇してきた

1000000人のキャンドルナイト@OSAKACITY 2019Winter西梅田 会社から帰宅時にリッツカールトンホテル大阪の前を通ると冬のイルミネーション。 綺麗なイルミネーションにちょっと心を動かされながら、もう12月なんだと感傷に浸っ…

住吉大社へお宮参り

住吉神社の総本山 すみよっさん なんばから南海本線各駅停車で5つめに住吉大社駅が有ります。住吉大社正門までは駅から徒歩ですぐです。摂津の国「一之宮」として崇められてきました。日本全国に約2,300あると言われる住吉神社の総本山です。 大阪人は…

ディープな大阪 天王寺周辺を散策~5

ちんちん電車の走る町 阪堺電気軌道 大阪で唯一の路面電車、阪堺軌道線です。 地元では「チン電」の愛称で親しまれています。 通天閣のふもとの恵美須町から走る阪堺線と、あべのハルカスのある天王寺駅前から走る上町線の2路線が走っています。 終点は堺市…

ディープな大阪 天王寺周辺を散策~4

新世界の歴史 内国勧業博覧会跡地 明治30年(1897)に第5回内国勧業博覧会(現在の万博に相当)がこの地で開かれました。博覧会は5カ月にわたり開催され、530万人の来場者を集めたそうです。 博覧会の跡地は東側が大阪市によって天王寺公園となり…

福島天満宮の天神祭

天神祭 大阪天満宮の天神祭は 大阪で天神祭と言えば大阪天満宮の天神祭です。日本三大祭りの一つ(大阪天神祭、京都祇園祭、東京神田祭)に数えられ、大阪三大夏祭り(大阪天神祭、生國魂神社の生玉夏祭り、住吉大社の住吉祭)の一つでもあります。 7月24…

ディープな大阪 天王寺周辺を散策~3

慶沢園 住友家本邸の庭園 天王子側から歩き始め、てんしばの終点を右に曲がったところに慶沢園はあります。 住友家15代吉左衛門により茶臼山本邸の庭園として造営されました。 記事の本題にディープな大阪とありますが、ここ、慶沢園は閑静な庭園で、喧騒…

ディープな大阪 天王寺周辺を散策~2

天王寺公園 大きく変わったエリア 私が10年前に、天王寺、阿部野を中心とした大阪南エリアの法人営業をしていた時代と一番変わった場所の一つが天王寺公園かもしれません。 天王寺公園は、明治42年の内国勧業博覧会(現在の万国博覧会のようなもの)の跡…

ディープな大阪 天王寺周辺を散策~1

阪和商店街 レトロな昭和の商店街 実は私、今でこそ人事労務管理の仕事をしていますが、約7年前までは営業の仕事をしていました。そして担当していたのが、天王寺、阿倍野を中心とした大阪市の南エリアの法人営業。 そんな訳で、天王寺界隈は土地勘がありま…

富田林寺内町 江戸時代の旧家を尋ねて

旧田中家住宅 明治時代の資産家の旧家 旧田中家住宅の主であった田中さんは幕末、明治には財産家に数えられる名家であったと明治44年の「大阪府河内和泉財産家一覧」に記載されているようです。 こちらは寺内町の北西に位置します。 母屋を含む主要な部分…

富田林寺内町 江戸時代の街並みを歩く

国の重要伝統的建造物群保存地区 富田林寺内町への行き方は 不肖にも大阪に住んで15年以上、こんな町があることを全く知りませんでした。 大阪で唯一、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている街並みです。 それが、大阪南部の富田林にある寺内町…

大正昭和のモダニズム 大大阪時代の香りを探して中之島船場散策~番外編

緒方洪庵旧宅(適塾) 大阪大学の源流 今日は、大正昭和を遡り、幕末から明治にかけてのお話です。 1838年(天保9)から1862年(文政2)まで、蘭学者であった緒方洪庵はここ船場の地に塾を開き、適塾として若い人たちの教育に多大な精力を注ぎまし…

大正昭和のモダニズム 大大阪時代の香りを探して船場中之島散策~3

御堂筋の西側を散策 日本生命本館 今日は御堂筋西側の内北浜通り周辺を散策してみます。 先ずは日本生命本館です。 建築年は第1期が昭和14年、第2期が昭和37年です。 RC7階建てで地下3階建て。 第1期工事でビルの北半分を建てましたが、、戦争で…

大正昭和のモダニズム 大大阪時代の香りを探して船場中之島散策~2

船場 御堂筋西側を散策する はじめに 前回は中之島を散策した記事を書きました。 大阪市中央公会堂、大阪府立中之島図書館、日本銀行大阪支店。 すべて公共的な建物です。 今回は船場の内北浜通り周辺の御堂筋の西側を紹介します。 ここは通称」「住友村」と…

大正昭和のモダニズム 大大阪時代の香りを探して船場中之島散策~1

大大阪時代 大阪に活気が戻ってきましたが 私が大阪に引越してきたときは10数年前。 まだ大阪の町の雰囲気ははどんより停滞していました。 大阪府と大阪市はいがみ合い、大阪府市あわせと言われていました。 改革が進んだのはやはり、橋下大阪府長、大阪市…