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旅行やマイルの話を中心に、たまにグルメやラーメンの話など気ままなことを好きなように書いている大阪発信のブログです。

大正昭和のモダニズム レトロな大阪の建物巡り~3

船場周辺のレトロな建物

丼池繊維会館

丼池筋に建てられた丼池繊維会館もまた、歴史的価値を継承する大阪のランドマークです。1888(明治21)年に設立された愛国貯金銀行は、当時大阪で屈指の規模を誇った貯蓄銀行でしたが、繊維会館は元々はその店舗として1922年(大正11年)に建築されました。

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明治7年に埋め立てられた池の名前にちなんで命名された丼池筋は、戦前は家具屋が軒を並べていましたが、戦後になり繊維問屋が丼池筋に進出し、大阪が「繊維の街」と呼ばれるほど、繊維卸業の中心地になりました。

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この丼池筋に銀行として建てられた建物は、その後町衆が買い取り、地域サロンや福利厚生施設として利用される丼池繊維会館となりました。

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本館は長い歴史の中で、その姿に幾度も手が加えられてきました。特に1997(平成9)年には鋼製のサイディングに覆われ、最大の特徴であるファサードが失われました。2016(平成28)年再生プロジェクトでオリジナルの姿を取り戻しました。

大阪農林会館

1930(昭和5)年に三菱商事大阪支店として三菱地所の英国出身のジョサイア・コンドル氏をはじめとした著名な建築家らが設計し設計し、建築されました。施工は大林組です。

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戦後、農林省関係のビルとなり現在の名称になりました。1972(昭和47)年に会館と名のつく貸しビル業となりました。

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現在は、高い天井や重厚なデザインの内装を活かしたスタイリッシュなショップが集まるビルとなっています。

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しっかりと作り込まれた木製の手すりや柱、ドアなど細部にレトロな雰囲気が残っています。

日本綿業会館

綿業会館は昭和6(1931)年12月、日本綿業倶楽部の建物として竣工し、翌年1月1日に開館しました。設計は渡辺節氏が担当し、ヘッドドラフトマンには村野藤吾氏が参画しました。

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将来の本格的な冷暖房の普及を予想してダクトの径を太くして建物に内蔵させ、当時からすでに、井戸水による冷風送気を行い、地下室に冷暖房設備のスペースを残すなどの工夫をされていました。また、各部屋の窓に鋼鉄ワイヤー入り耐火ガラスを使用していたため、戦火をまぬがれたそうです。

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開館早々には、リットン卿らの率いる英・米・仏などからなる国際連盟満州事変調査団の来館、その後も、各国の要人が来館し、国際会議の場としてもよく利用されました。

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2003(平成15)年に国の重要文化財に指定され、2007(平成19)年には近代化産業遺産に認定されました。

船場ビルディング

船場の近代建築の歴史をいまに伝えている建物「船場ビルディング」は地上4階、地下1階建て塔屋1層の住宅兼事務所ビルです。

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外観はタイル張オフィスビルの意匠になるが、内部中央に細長いパティオ風の中庭を設けて吹き抜けとし、その周囲に回廊を巡らす特色ある造りになっています。竣工は1925(大正14)年です。

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細長いパティオ風の中庭は、問屋街として発展した船場という土地柄に合わせて、トラックや荷馬車などを引き込むのに利用されたそうです。予約をすれば見学が可能です。