空へ!!

旅行やマイルの話を中心に、たまにグルメやラーメンの話など気ままなことを好きなように書いている大阪発信のブログです。

大阪 平野郷の春を散策してきました ~2

大念仏寺

融通念仏総本山のお寺

JR平野駅から国道25号線を横断したすぐ奥に大念仏寺は有ります。ここ大念仏寺は比叡山延暦寺の僧良忍が1127年に創建しました。日本最初の念仏道場です。

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一時期は後継者に恵まれず、寺勢は振るわなくなりましたが、1321年に法明が融通念仏宗を再興すると寺の門前町が現れて、平野郷に繋がっていきました。

 

境内の広さは24,000㎡(約7,300坪)と広大で境内には30余の堂宇があります。

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こちらの山門を潜り抜けると目の前には・・・。

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大きな本堂に遭遇します。

棟行(南北)39.1m、梁行(東西)49.8mの大阪府下最大の木造建築だそうです。

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こちらの本堂は、1938(昭和13)年に復元されたもので総欅(けやき)造銅板葺です。2003(平成15)年に国の登録有形文化財に登録されました。

 

本堂の中には自由に上がることが出来ます。

正面宮殿には本尊十一尊天得阿弥陀如来画像があり、そのわきに極彩色の多聞天王、八幡大士の木造が脇を固めます。

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こちらの建物は経蔵で元禄年間の創建だそう。蔵の中には中央に経箱が置かれ回転させる構造になっています。これは天法輪(てんぽうりん、教えを説くこと)を意味し、経の功徳が普く行きわたることを願ったものになっています。

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こちらは圓通殿(観音堂)です。平成元年に復元されたものです。

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馬場口地蔵

平野郷は濠と土居に囲まれた環濠集落でした。濠を渡ってこの環濠集落に入るための入り口が十三口あって、入口には地蔵尊が置かれていました。今でもその地蔵尊は残されていますが、その一つが馬場口地蔵です。

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この馬場口地蔵は大念仏寺の山門のすぐ傍らに置かれていました。馬場口門の横に設置されていましたが、奈良街道の大阪、天王寺をつなぐ道に接しており、大阪から大念仏寺への参道となっていました。

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がんこ平野郷屋敷へ

奈良街道

これがいつごろの建物なのか、私には良くわかりませんが、昔奈良街道であったと思われる道を歩くと、雰囲気のある大きな建物に遭遇します。こうした道を散策しながら、がんこ平野郷屋敷に向かいます。

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旧辻本家住宅

平野郷鞍作の豪農辻本家の江戸時代に建てられた旧辻本家住宅があります。現在は大阪を中心に和食レストランを経営する「がんこ」の平野郷屋敷店として利用されています。約1,100坪の敷地に800坪の床面積の母屋、長屋門、蔵5棟、茶室などが建っています。

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1704年の大和川付け替えに伴う新田開発で綿花栽培が盛んになり、その集散加工の中心地として発展し、河内木綿として全国に出回りました。代々豪農であった主の辻本家は、江戸時代より、庄屋、村長などの要職を務めたそうです。

 

次回は旧南海平野線の平野駅跡周辺を散策します。