空へ!!

旅行やマイルの話を中心に、たまにグルメやラーメンの話など気ままなことを好きなように書いている大阪発信のブログです。

大阪・西成あいりん地区の今を歩いてきた

大阪・あいりん地区の現状

歴史的背景

明治時代の大阪市内の木賃宿規制により、木賃宿とスラム街は大阪市外の今宮村にある釜ヶ崎(あいりん地区)に移転してきました。木賃宿は元々は都市流入人口の一時的な対流地の役割を果たしていましたが、その後失業者の溜まり場となり、スラム街となっていったのです。

 

戦後焼け野原となりましたが、大阪市が浮浪者、貧困者対策を重視したことから日本各地の貧困者や浮浪者が釜ヶ崎に集積してきて、ドヤ街が出来たと言われています。特に1960年代は高度経済成長期であり、大阪万博の特需で建築関係の仕事が多数あったことから、全国各地から日雇い労働者が釜ヶ崎に集まってきました。

 

ちょっと古い資料ですが、2006年3月に発行された「大阪市西成区生活保護受給の現状」(大阪市健康福祉局保護課 他)での60歳以上の生活保護受給者の聞き取り調査によると、大阪以外の近畿、中国、四国、九州、沖縄出身者が全体の57%を占めています。また、バブル期の1990年頃より前である20年以上前からあいりん地区に住んでいる住人が61%いることがわかります。

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ところで、ドヤ街とは日本の高度経済成長時代を支えてきた日雇い労働者が生活している町の事です。多くの日雇い労働者たちが仕事を求めて全国から訪れ、建築、土木、港湾事業などの日雇い労働に従事して夜はその町に寝泊まりします。こうした労働者たちが寝泊まりする簡易宿泊所のことを「ドヤ」と呼び、バブル期にはこうした簡易宿泊所は多くはビル形式のホテルに建て替えられました。

 

全国には大きなドヤ街が6か所あります。

・東京都台東区山谷

・神奈川県横浜市中区寿町

・愛知県名古屋市中村区笹島

大阪市西成区釜ヶ崎

兵庫県神戸市兵庫区新開地

・福岡県福岡市博多区築港

中でも20,000人以上の人口を抱える釜ヶ崎(あいりん地区)は日本一の規模となっています。

今のあいりん地区は

あいりん地区は大阪環状線南海電車が交わる新今宮駅南海電車萩ノ茶屋駅から堺筋までの場所に存在しています。

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あいりん地区の人口は20,000人を超えていると言われていますが、詳細な数字は有りませんので、範囲は広くなりますが西成区の資料を見てみます。

 

あいりん地区に居住している人は男性9割、女性1割と言われています。それを表したのが下のグラフです。西成区の人口の男女比率は圧倒的に男性が多くなっています。

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またあいりん地区では高齢化が非常に進んでいます。日雇労働者として大阪万博の1970年にとして大阪に出てきた人、バブル期の1990年頃に大阪に出てきた人は、もうかなりの年齢になります。日雇労働の仕事が無くなって仕事にあぶれているというよりは、高齢化で仕事が出来ないという方が正しいのかもしれません。

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その為、生活保護の受給者が他の地域と比べて圧倒的に多く、貧困に付け込んだ悪徳ビジネスが社会問題になっています。平成31年1月の資料によると、西成区生活保護率は232.5‰(1,000人中232.5人)となっています。山谷のある東京都台東区が74.5‰、(平成27年)、寿町のある横浜市中区が61.8‰(平成24年)であることと比べると3~4倍多いことが分かります。

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そしてあいりん地区を抱える大阪府生活保護率は全国一となっています。

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もう一つの問題は、高齢化以外に日雇労働による肉体の酷使や、保険に未加入であったことから、身体に障がいを持つ人が非常に多いことが上げられます。

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 西成あいりん地区を歩く

旧あいりん労働福祉センター

旧あいりん労働福祉センターは、あいりん地区のランドマークとして存在しましたが、2019年4月24日に閉鎖されました。本来は3月31日をもって閉鎖される予定でしたが、労働者が閉鎖を反対して居座り、警官隊によって排除されたそうです。

 

併設された大阪社会医療センター附属病院も隣接する小学校跡地に新病院が建てられており、2020年12月に引越します。この建物も建て替えられ新センターは2025年に完成する予定です。

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この建物は大阪万博が開催された1970年に竣工されて以来、日雇労働を斡旋する場所として、仕事があぶれた人の生活する場所として、或いは憩いの場所として使われてきました。センターのシャッターが締められた後もセンターの前にはあいりん地区に暮らす人の家財道具が並んでいます。

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仮の労働福祉センターは南海電車の高架下に作られていましたが、規模は大分縮小されていました。

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バックパッカーの宿

最近の西成あいりん地区は欧米人のバックパッカーの宿としても注目されていました。海外と比べれば、あいりん地区といえども治安が良いことと、宿代が格安なことで人気となっていました。1泊1,500円のアパートの案内板には、英語、中国語、韓国語、日本語の説明がありました。

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ただ、今の新型コロナウイルスの影響で、外国人も少なくなり、街は閑散としていました。

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萩ノ茶屋駅

あいりん地区への入り口は南海電車萩ノ茶屋駅新今宮駅になります。萩ノ茶屋駅の様子がこちらです。

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20年以上前に大阪出身の大学の先輩から、「西成は行ったらあかん。タバコを1本恵んでくれと言われて差し出したら、周りから人が集まってきて、俺にもくれ俺にもくれと。怖くなってタバコを置いて逃げてきた。」なんて話を聞かされました。

 

時間は過ぎて、街は静かになりました。でも色々な問題を抱えたまま時間だけが過ぎていくような気がしています。