ディープな大阪 天王寺周辺を散策~1
阪和商店街
レトロな昭和の商店街
実は私、今でこそ人事労務管理の仕事をしていますが、約7年前までは営業の仕事をしていました。そして担当していたのが、天王寺、阿倍野を中心とした大阪市の南エリアの法人営業。
そんな訳で、天王寺界隈は土地勘があります。ただ、最近は足を踏み入れることも無くなり、7年ぶりの天王寺です。まずお伝えしたいのが阪和商店街です。
天王寺駅は近鉄阿部野橋駅と同じ駅で、JR環状線、阪和線、大和路線、地下鉄御堂筋線、谷町線、近鉄南大阪線、阪堺電軌上町線が乗り入れる交通の要所です。そして日本一高いあべのハルカスのお膝元になります。
天王寺駅を北に向かって道路1本渡ったところに阪和商店街があります。初めて天王寺にきた10年位前にここに来て、ぎょっとした覚えがあります。このレトロ感。未だに健在でした。
この細いアーケードが商店街の入り口です。
アーケードの中は商店街というより飲み屋街です。
お店は何ヵ店か入れ替わって、いるようでした。
路地の飲み屋街で、閉鎖されている店舗もありました。
ここが天王寺の駅前です。
夜になると雰囲気は変わるのでしょう。10年前には、会社の仲間とたまに飲みに着たりもしていたのですが。今でも夜になると賑わっているのでしょうか。
四天王寺
四天王寺の参道
昔ながらの商店街ですが、お店は入れ替わっているようで、シャッター商店街ではありません。人の通りも多いです。
毎月21日(お大師さん)、22日(お大子さん)は縁日となっています。商店街沿いにも露店が出店して、賑わっています。
商店街を抜けると四天王寺参道の看板がかかっています。
そして歩くこと15分で四天王寺に到着します。
七夕祭りの最中
ちょうど伺ったのは七夕祭りの最中でした。短冊が飾られて多くの参拝客でにぎわっていました。
露店も数多く出店していました。
子供たちの書いた短冊も笹にくくりつけられて飾られていました。
四天王寺の歴史
崇仏派の蘇我馬子と廃仏派の物部守屋が仏教の受容をめぐって戦となり、聖徳太子は崇仏派の蘇我馬子側に付き、この戦に勝った時には四天王寺を建立して生涯をかけて衆生
救済を行うと誓ったとされています。
四天王寺は聖徳太子が建立し、聖徳太子も信仰の対象となっているのです。
しかしながら、昭和9年(1934)、近畿一円を襲った室戸台風により五重塔が倒壊し、境内全域も相当な被害を被りました。昭和15年(1940)に相当な努力によって五重塔を再建しましたが、昭和20年(1945)の大阪大空襲によって四天王寺の大部分が焼失することとなってしまいました。
現在の四天王寺の五重塔は昭和34年(1959年)に再建されたもので、何と8代目の五重塔だそうです。
次回は天王寺駅に戻り、てんしば周辺を散策します。