富田林寺内町 江戸時代の街並みを歩く
国の重要伝統的建造物群保存地区
富田林寺内町への行き方は
不肖にも大阪に住んで15年以上、こんな町があることを全く知りませんでした。
大阪で唯一、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている街並みです。
それが、大阪南部の富田林にある寺内町です。
どんなところか興味が涌いて、先日はじめて往訪してきました。
近鉄南大阪線で、阿倍野橋駅から富田林駅まで河内長野行で30分です。
富田林駅は駅前にバスのロータリーが広がりますが、特に目立った建物も無い、郊外のどこにでもある駅という感じです。
富田林市の人口は11万人で、近鉄と南海が開発した大阪南部のベッドタウンとなっているようです。
町を散策してみます
寺内町に着いたのは朝9時ごろです。
観光案内所であるとんだばやし観光交流施設きらめきファクトリーや富田林市立じないまち交流館で案内地図をもらって歩くと良いらしいのですが、開館は10時から。
仕方がないので開館までぶらぶら町を散策してみます。
歩き始めるとPLの塔、大平和祈念塔が見えます。
そういえば、富田林にはPL教団の本部がありました。
歩いていくと急に白壁と木塀の街並みが目に飛び込んできます。
医院や宿も雰囲気があります。
日本の道百選
観光案内所で地図を貰って
10時になり、改めて観光案内所とんだばやし観光交流施設きらめきファクトリーにお邪魔します。ここで地図をもらって、観光を続けます。
この富田林寺内町の中心を南北に走る城之門筋は昭和61年に日本の道百選にも選ばれています。
富田林寺内町の起源は戦国時代の永禄の時代(1558年~62年)だそうです。
この時に建てられた興正寺別院の周囲に建物が建てられて400×350mの平地に南北6筋、東西7町の道路が整備され、寺を中心とした自治都市として発展して行きました。
さらに江戸時代に入ると大阪と紀伊の国(和歌山)を結ぶ交通の要所となり、酒造り、米、木材の交易の中心となって多くの商人や職人を抱える町として発展していったそうです。
江戸時代からの町屋
寺内町は古い街並みの他、江戸時代からの町屋も数多く残されています。
今でも住人が住んでいるところが多く、内部まで公開されているところは旧田中家住宅と旧杉山家住宅の2カ所だけですが、こうした家を見て回るのも楽しいです。
ここは奥谷家。
ここは木口家。
旧田中家住宅です。
ここは内部まで公開されています。
ここは旧杉山家住宅です。
ここも内部まで公開されています。
こちらは杉田家住宅。
仲村家住宅になります。
この建物は大正13年ごろ建てられた建物で、寺内町のはずれに建っています。
元は国分銀行として建てられたもので、その後昭和17年に三和銀行の所有となって、昭和50年8月まで銀行として使われていました。その年の10月に中内眼科医院の所有に変わり、診察所兼自宅として利用されています。
この町を歩いていると、本当にタイムスリップした感じになります。
しかも観光客はほとんどいません。ゆっくり街歩きが出来ます。
富田林寺内町は住宅地で普通に住民が暮らしていますので、観光客で溢れかえるよりはこれくらいの静かさの方がいのでしょうが、こんなひっそりした街が残されていることにびっくりしました。
次回は公開されている旧田中家住宅と旧杉山家住宅を中心にもう少し、富田林寺内町を見てみたいと思います。お付き合いください。