大正昭和のモダニズム 大大阪時代の香りを探して船場中之島散策~1
大大阪時代
大阪に活気が戻ってきましたが
私が大阪に引越してきたときは10数年前。
まだ大阪の町の雰囲気ははどんより停滞していました。
大阪府と大阪市はいがみ合い、大阪府市あわせと言われていました。
改革が進んだのはやはり、橋下大阪府長、大阪市長になってから。
赤字も減り、大阪に活気が戻ってきたのではないでしょうか。
今では、再開発で高層ビルが建ち、タワーマンションも林立しています。
うめきたの2期工事も始まりました。
万博やIRもやってきます。今後の大坂の発展に目が離せません。
大阪には古き良き時代があった
1925年(大正14年)、大阪市は隣接する町村を合併しました。
関東大震災で人々が神奈川や埼玉に移っていった東京市に代わって人口は日本一に。
200万人を超える人口となり、世界第5位を争う程の大都市、所謂「大大阪」となりました。
また、急発展する中で郊外の住宅地が急増する人口の受け皿となり、電鉄会社が大阪を取り囲んで宅地沿線開発を行い、大阪独自の私鉄文化が生まれました。
当時の関大阪市長の「都市大改造計画」の目玉であった御堂筋の拡張計画は当時の常識から考えればありえないほどの大事業だったようです。
道幅6メートル、長さ1.3キロメートルの狭く短い御堂筋を、幅44メートル、長さ4キロメートルの道を作るというものでした。
市民は「船場の町中に飛行場でも作るのか」と肝をつぶしたそうです。
しかも100年先を見据えたという関市長の構想はそれだけに留まらず、道路の地下に地下鉄を作るというものでした。
着工より11年という長い年月をかけ昭和12年5月11日に御堂筋は開通しました。
地下鉄は道路に先駆けて、梅田~心斎橋は昭和8年に開通しました。
その後、昭和10年には難波、昭和12年には天王寺まで延伸されました。
シンボルとなるイチョウ並木は完成時に植えられたもので、淀屋橋南詰から難波までに約800本あります。
(淀屋橋周辺の御堂筋)
高層のオフィスビルも建設され、従来の呉服店は百貨店に改築、世界的な流行もいち早く採用し、ターミナルデパートも誕生しました。
大正昭和のモダニズム建築
船場中之島にて
こうした大大阪時代の建物は、太平洋戦争の空襲や、再開発でほとんどの建物が無くなっていますが、船場や中之島を中心に、大阪市内にいくつかが現存し、今でも利用されています。
大正昭和のモダニズム建築を中心にいくつかの古い建物を散策してきましたので、ここで紹介させて頂きます。
中之島から
大阪市中央公会堂
大正7年建築です。
ネオルネッサンス式の豊かな意匠やバロックの要素が取り入れられました。
平成11年から約4年をかけ保存再生工事が行われました。
国指定の重要文化財となっています。
大阪府立中之島図書館
明治37年に野口孫市氏が設計し、住友家の寄付によって建築されました。
これも国の重要文化財です。
今でも現役の図書館として営業しています。
大阪府内に在住、通学、勤務している人と、近畿圏に在住している人は本を借りることが出来ます。
カフェ スモーブロー キッチン ナカノシマで北欧郷土料理スモーブローを楽しむこともできます。
北欧サンドウィッチだそうです。
日本銀行大阪支店
明治36年に明治の大御所辰野金吾氏の設計による建築です。
ネオ・ルネッサンス式。
当時のヨーロッパで人気だった建築様式だそうです。
大阪市中央公会堂、府立中之島図書館、日本銀行大阪支店の位置関係は以下の通り。
次回は船場を散策します。