ディープな大阪 天王寺周辺を散策~4
新世界の歴史
内国勧業博覧会跡地
明治30年(1897)に第5回内国勧業博覧会(現在の万博に相当)がこの地で開かれました。博覧会は5カ月にわたり開催され、530万人の来場者を集めたそうです。
博覧会の跡地は東側が大阪市によって天王寺公園となり、西側が民間企業に払い下げられ、通天閣とルナパークという、今でいうテーマパークとなり大阪市の新名所ということで新世界と名付けられました。
通天閣は昭和18年(1943)に火災によって損傷し、戦時中の鉄材供出によって解体され、新世界自体も昭和20年(1945)に大阪大空襲で壊滅しました。
昭和22年(1947)にジャンジャン横丁が先ず復興し、その後昭和31年(1956)に2代目の通天閣が完成しました。
長期低迷
昭和45年(1970)の万国博覧会の開催に合わせた鉄道や道路のインフラ整備のため、全国各地から労働者が大阪に集結しました。新世界周辺は労働者の盛り場となり、そのイメージから怖い町と言われるようになり、若者や家族連れは新世界を避けるようになってしまいました。
現在は、昭和のレトロが残る町として脚光を浴び始め、訪日観光客が訪れるようになり、安宿に外国人が泊まるようになるなど、長期低迷から脱しようとしています。
新世界を歩いてみる
ジャンジャン横丁
新世界の南東部を南北に走るアーケード街です。飲食店が並ぶ細いアーケードですが、レトロな観光地として注目されるようになってきました。
外国人の姿も多く、非常に賑わっています。
人気の串カツ店には長い行列が出来ています。
一時期は人通りもまばらでしたが、今は活気も取り戻したようです。
通天閣とその界隈
通天閣は2代目で昭和31年(1956)に建設されました。
昭和50年(1975)には入場者数が20万人を下回るなど、低迷が続きましたが、最近は10年以上100万人を超えるようになったそうです。
通天閣の界隈では観光客相手の串カツ屋さんや居酒屋さんが並び、原色の看板が客を招きます。
また、この界隈には洋服を売るお店も多く、誰が買っていくんだろう?と思われる奇抜なセンスの洋服も沢山並んでいます。
飲食店の軒先にもたくさんのビリケンさんが飾られています。
こちらは通天閣HPより拝借してきました。
通天閣の展望台はこちらから。
展望台へは800円で上れます。
新世界市場
ここもディープなアーケードです。
一時はシャッター商店街となっていましたが、土曜日の夜に新世界夜市という屋台街が、毎週日曜日にはフリーマーケットが開催されています。
新世界市場に入口はこのようになっています。
何軒かのお店は空いています。
ザ・大阪。
ディープな大阪天王寺周辺を散策のシリーズは次回で最終回。
次回は、ちんちん電車の走る町です。