空へ!!

旅行やマイルの話を中心に、たまにグルメやラーメンの話など気ままなことを好きなように書いている大阪発信のブログです。

キャセイパシフィック航空でハノイまで ハノイ弾丸2泊3日の旅

CX597香港行き

機材はA330-300

9時25分発CX597便香港行き。

香港までは関西国際空港から4時間25分です。

4番ゲートからの出発になります。

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機材はA330-300(33P)で、ビジネス24席エコノミー293席。

私たちの席はエコノミーの40Fと40G、真ん中の席の一番前。

 

隣席ブロックなの?か、隣の40Eは空席です。

全体の搭乗率はざっくり70~80%程度でしょうか。

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一番前ということもあり、前の空間は広く快適です。

これだけ広ければ、4時間25分の搭乗でも苦にはなりません。

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一番前の座席のモニターは壁に設置してあるタイプです。

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モニターは日本語の表記に変更できます。

ただし、TV番組>TVアジアでみたらクレヨンしんちゃんがあったので視聴してみたら、中国語の吹き替え版でした(苦笑)。

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コンセントは座席の下に設置されていました。

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機内食

朝の便ですので機内食は朝食です。

オムレツかお粥から選べます。

 

私が頼んだのはオムレツです。

オムレツと言っても型に卵を流し込んで作られた、円形の機械的な不思議なオムレツです。味は・・・(微妙)。

ここでお腹を膨らませると香港のラウンジで食べられなくなるのでちょうど良いかと。

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アルコールはビールと赤ワインをいただきました。

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妻はお粥を選択。

案外いける、とのことでした。

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香港に到着してからはTHE WINGファーストクラスラウンジでゆっくりくつろぎますが、ラウンジについては次回の記事で紹介します。

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KA295ハノイ行き

香港からハノイまでは、キャセイパシフィック航空の子会社であるキャセイドラゴン航空になります。

17時30分発、KA295便ハノイ行き。

 

搭乗時間は2時間15分です。

機材はA320。

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座席はエコノミー22Jと22K。

狭くは無いのですが、足を組むと厳しいですね。

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夕方の香港国際空港を後にしてハノイに向かいます。

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香港国際空港から延びる橋。

マカオに向かっているのでしょうか。

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機内食は 

僅か2時間15分の機内ですが、機内食がしっかり出ます。

香港のラウンジでガッツリ食べてきたのでお腹一杯ですが。

 

ポーク&ポテトかシーフード&ライスから選べます。

こちらがポーク&ポテトです。

カレー風味の味付けです。

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そしてこちらがシーフード&ライス。

シーフードは白身魚のフライです。

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機内では熟睡しておりましたので、あっという間の2時間15分でした。

ハノイ到着です。

 

次回はキャセイパシフィック航空香港のラウンジを御紹介します。

関西空港サクララウンジ ハノイ弾丸2泊3日の旅

ベトナムハノイへ弾丸の旅

キャセイパシフィック航空格安運賃で

今年はJGCプレミア修行の一環で旅行も兼ねて、1月にシンガポール、2月にタイ・バンコク、3月にシンガポール、4月にベトナムホーチミンに行ってきました。

 

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そして夏には、メインイベントとしてJALの特典航空券でポルトガルに行ってきました。

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今年の旅行ははこれで打ち止めかなと思っていました。

ところがキャセイパシフィック航空のセールで、年末までの限定で東南アジアが サーチャージ込みで4万円ちょっと。

これは乗るしかないと。さて、どこに行こうかと考えました。

 

12月は仕事も忙しく、休みはなかなか取れません。土曜、日曜に1日休みをつけて3日で行けるところは、タイ、シンガポールベトナム、マレーシア・・・。こんなところでしょうか。

 

ベトナムは、ホーチミン、ダナン、フエ、ホイアンには行ったことがありますが、ハノイには今まで行く機会がありませんでした。折角なら行ったことが無いところに行きたい。ということで、ハノイに行くことに決めました。

旅程を決定

ハノイでゆっくりできるのは1日だけ。ハロン湾に行くか、ハノイを堪能するか、と考えましたが、初めてのハノイなのでハノイを堪能することに決めました。

キャセイパシフィック航空で香港経由で行くのであれば、香港のラウンジでもゆっくりしたい。

 

ということで、こんな旅程に決定しました。

 

1日目 関西(KIX)9:25発ー香港(HKG)12:50着

    香港(HKG)17:30発ーハノイ(HAN)18:45着

2日目 ハノイ滞在

3日目 ハノイ(HAN)10:50発ー香港(HKG)13:50着

    香港(HKG)16:35発ー関西(KIX)21:10着

日本と香港は時差1時間、香港とハノイは時差1時間です。

関西国際空港のラウンジ巡り

サクララウンジ

家を6時ごろ出て、関西国際空港に着いたのは7時前。

 

キャセイパシフィック航空の指定ラウンジは飛鳥ラウンジかラウンジパシフィック。

でも、サクララウンジのカレーが食べたいのでサクララウンジに向かいます。

 

キャセイパシフィック航空の搭乗ゲートは北ウイングの4番ゲート。

サクララウンジのある南ウイングとは正反対になります。

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まずはシャトルに乗って南ウイング中間駅へ。ここにサクララウンジがあります。

 

サクララウンジは、羽田国際空港や成田国際空港と比べると格落ちですが、それでも2015年にリニューアルされて綺麗にはなっています。

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キャセイパシフィック航空の指定ラウンジにはなっていませんが、キャセイパシフィック航空ワンワールドアライアンスですので、ワンワールドエメラルド(サファイアでも)のステータスで利用は可能です。

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食事もハンバーグやカレー、サラダなど一通りのものは揃っています。

れんこんのきんぴらと赤魚の西京焼き。

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サラダバー。

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ビーフカレー
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ビーフハンバーグ。

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犬鳴豚のメンチカツサンドと野菜のフラワートルティーヤ、とうもろこしのスープ。

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お待ちかねのサクララウンジビーフカレー

羽田空港や成田空港のサクララウンジのカレーとは違います。

どちらかというとシャバシャバ系のカレーです。

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ラウンジの雰囲気はこんな感じです。

入室した時は空いていましたが、8時前には満員になってしまいました。

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お酒もビール、ワインの他に日本酒や焼酎も揃っていました。

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飛鳥ラウンジ

サクララウンジキャセイパシフィック航空の搭乗口からかなり離れています。

乗り遅れるわけにはいきませんので、シャトルを乗り継いで北ウイングに向かいます。

 

ここがキャセイパシフィック航空の指定ラウンジ飛鳥ラウンジです。

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北ウイングを使用する航空会社の指定ラウンジになっているようです。

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コールドミールが中心ですがウインナーソーセージやスクランブルエッグなどの温かい料理もありました。

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アルコールも一通り揃えられています。

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大きな窓もあり、狭いながらも窮屈感はありません。

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今回は関西国際空港からサクララウンジと飛鳥ラウンジを紹介しました。

歴史ステーションから 鉄道博物館に行ってきました

世界一への飛躍の時代

戦後の復興から

1872(明治5)年9月に新橋~横浜間の鉄道開業するより以前の、開国とともに海を渡ってきた蒸気機関車の模型の話から物語は始まります。

 

ここ歴史ステーションではこうした鉄道の歴史が、展示品やパネルで飾られています。

下の絵は、当時開業したばかりの新橋駅の様子が描かれています。

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そして国産化の歴史や、関門トンネル丹那トンネルの話、橋梁の話と続いていきます。

 

今回はこうした中から戦後の復興、世界一の新幹線の話、国鉄の解体とJRの発足の話を中心に見ていきたいと思います。

 

1950(昭和25)年に起こった朝鮮戦争による特需で日本の経済の復興が始まりました。そうした中、東海道本線の電化は1949(昭和24)年に沼津駅から浜松駅に、1953年(昭和28)に名古屋駅に、そして1956(昭和31)年に全線が電化されました。

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当時の上野駅の改札の様子です。

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自動販売機もこのころ生まれました。

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そして1960(昭和35)年の帰省旅客が集まる上野駅の様子です。

すごい人で溢れかえっています。

当時は、皆さんが鉄道を利用していたことがよくわかります。

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世界一の新幹線の誕生

1953(昭和34)年3月に国会で承認された「新幹線」計画により、わずか5年で完成され、東海道新幹線は1964(昭和39)年10月1日に開業となりました。

 

この時は、超特急ひかり号が時速200㎞で東京~新大阪間を4時間で結びました。

 

まさに太平洋戦争からの復活のシンボルで、世界銀行から8,000万ドルを借入して未知の速度200㎞を目指して計画されました。

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日本の鉄道が開業して100年の記念行事として1972(昭和47)年にリニアモーターカーの走行実験を公開したそうです。

 

現在東京~名古屋間で建設が進められているリニア中央新幹線の技術開発が既にこの時代から進められていたのは驚きですね。

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その後1972(昭和47)年に新大阪~岡山間が、1975(昭和50)年に岡山~博多間が開業し、新幹線が東京から九州まで繋がりました。

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1982(昭和57)年6月23日には大宮~盛岡間が暫定開業し、東北新幹線の開業も進んでいきました。

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国鉄解体

処理する債務は37兆円

国鉄公共企業体として独立採算制を求められていましたが、路線の新設や廃止、運賃の改定を独自に行うことはできませんでした。

 

上記の新幹線の建設のように政治主導で行われたものもあり、「我田引鉄」と言われたように、政治家が自分の出身地に新幹線を引くといったことも行われました。

 

その結果、下の運賃改定の社内ポスターによると、1975(昭和50)年の累積赤字は3兆1千億円と急上昇してしまいました。


また、東北新幹線が暫定開業した1982(昭和57)年の国鉄の借入金は16兆円に及んだそうです。

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そして、1982(昭和57)年度の1日の赤字は57億円だったそう。

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国鉄終焉当時は何と37兆円の債務が残ってしまったそうで、25.5兆円を国鉄清算事業団に引き継がせ、1987(昭和62)年4月1日に国鉄の分割民営化がなされ、国鉄は終わりを迎えました。

 

車内に張り出された国鉄分割民営化のポスターです。

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新生JR

全国を6つの地区に分けた新生JRとJR貨物が誕生して既に30年以上が経過したんですね。

今の若い人は「国鉄」という鉄道があったことを知らないかもしれません。

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本州3社とJR九州は国から施設を買い戻し、株式上場を果たしました。

一方、JR北海道は存続が危ぶまれる事態に陥っています。

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地震や台風などの災害に遭いながらも復興を果たしてきた鉄道の歴史。

JR北海道やJR四国も何とか存続できるようにと願っています。

 

色々と為になり、考えさせられた歴史ステーションでした。

まだまだお伝えしたいことはあるのですが、鉄道博物館については以上となります。

どこかで別の記事で鉄道博物館についてお伝えできたらと思います。

最後までお読み頂きましてありがとうございました。

夢の欧亜連絡ルート 鉄道博物館に行ってきました

パリまで15日間の豪華な旅行

欧亜連絡ルート

1906(明治39)年に主な鉄道は国有化され、1912(明治45)年には新橋~下関間をおよそ25時間で結ぶ特別急行が走り出しました。

 

当時は、東京から下関へ特急で走り、下関からは関釜航路で釜山へ行き、中国、ロシアを経由して鉄道でヨーロッパに行くという欧亜連絡ルートが整備されたそうです。

1枚の切符で東京からパリまで15日間かけて旅行が出来ました。

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併せて、新橋から敦賀港を通って、船でウラジオストクへ行き、ウラジオストクからパリやロンドンまで行くルートもできました。

 

日本からヨーロッパに行く主要ルートとなり、1941(昭和16)年に第二次世界大戦が始まるまで、欧亜連絡ルートは走り続けたそうです。

 

その時走っていた特急「富士」の展望車の車内です。

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そしてこちらが展望車の外観です。

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日本からヨーロッパに行く定番ルート

当時は船で太平洋航路を使って太平洋を渡って、北米横断鉄道、大西洋航路でヨーロッパまでは1カ月弱。スエズ運河経由の海路で1ヶ月半。

 

欧亜連絡ルートを使うと15日間と、船に比べて時間は大幅に短縮されました。

 

当時のシベリア鉄道の様子。

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当時のベルリン駅。

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そして終着パリ駅です。

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大正4年の大学卒の初任給が40円の時代に東京~ロンドンの寝台料金を含む15日間の料金は600円(産経ニュース2016.7.24)だったそうです。

 

1913(大正2)年にはなんと世界一周、東半球一周の周遊券も発売されたそうです。

 

まさに夢の欧亜連絡ルートでした。

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欧亜連絡切符の東京~パリ一等車の切符。

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次回も鉄道博物館からお伝えします。

昔の電車にテンションが上がる 鉄道博物館に行ってきました

鉄道博物館って興味ありますか

交通博物館の後継

昔、東京秋葉原交通博物館がありました。

新幹線の先頭部分が博物館の入り口に飾られていたことを記憶しています。

よく父親に連れて行ってもらいました。

 

交通博物館に行くことは、子供ながらにわくわくした思い出があります。

ここ交通博物館に何度も通い、乗り物が好きになったのかもしれません。

 

鉄道の他にも、船や自動車、飛行機などの展示もフロア別に行われていました。

惜しまれながら2006年に閉館しました。

そして、交通博物館の鉄道部門を引き継いで、2007年にさいたま市鉄道博物館がオープンしたのです。

 

この時、私は既に大阪に転勤で異動していたので、交通博物館の最後に立ち会うこともできず、鉄道博物館にも行くこともできませんでした。

 

京都鉄道博物館には行ってきましたが、鉄道博物館は初めての訪問になります。

東京出張に合わせ、前乗りで鉄道博物館に行ってきました。

 

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 わくわくする仕組み

大宮駅からニューシャトルで1駅、鉄道博物館駅で降りると鉄道博物館があります。

鉄道博物館に入る前にさまざまな仕掛けがあります。

 

博物館に向かう通路の床が東北新幹線開業当時の時刻表とか。

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機関車の車輪とか。

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D51蒸気機関車の先頭部分や修学旅行専用の155系の車両が展示されています。

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鉄道博物館に入る前からテンションはアゲアゲです(笑)。

展示車両

入場はSUICAで

入場券はSUICAで購入できます。

入場料は1,330円。

SUICAで購入するとSUICAのような入場券を貰えます。

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改札口に入場券をかざして入場します。

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車両ステーション

1階の車両ステーションには36両の実物車両が展示されており、鉄道博物館のメインステーションになっています。

 

弁慶号と開拓使号です。

北海道の開拓の為、アメリカから輸入された蒸気機関車と客車です。

北海道初の幌内鉄道で、炭鉱から小樽までの石炭の輸送に使われたそうです。

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ナデ6110です。

山手線の電化に対応するために1911(明治44)年に搭乗した電車です。

トロリーポールで電気を集電していました。

昭和20年代まで活躍していたようです。

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EF55電気機関車です。

1936(昭和11)年に登場しました。

東海道本線の特急「つばめ」や「富士」の花形の列車を牽引して活躍しました。

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485系の特急電車「ひばり」

この車両は東北から北陸、山陽、九州で活躍した電車です。

国鉄時代の特急の象徴でした。

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キハ41300は1934(昭和9)年製。
電化されていない地方のローカル線で活躍したそうです。

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クモハ40は1936(昭和11)年製。

車体の長さは20mと長くなり、定員は大幅に増えました。

関東、関西の通勤路線で大量輸送を実現しました。

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寝台特急「あさかぜ」20系客車。

寝台特急は当時の憧れでした。

ただ、今見ると寝台車のベッドって、こんなに狭かったのですね。

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まだまだ新幹線の車両やお召列車なども展示されていましたが、今日はこの辺で。

次回も鉄道博物館からお伝えします。

晩秋の大阪城を散策してきました

大阪城の歴史

豊臣大坂城

大坂城は江戸時代まで、大阪城は明治以降で表記しています)

大坂城は、もともと織田信長が宿敵としてきた石山本願寺があった場所に、本願寺が退去した後に織田信長が城を築くはずでした。ところが1582(天正10)年に本能寺の変明智光秀に反逆され自害、織田信長は急逝します。そして、翌年1583(天正11)年に豊臣秀吉が、この地に大坂城の建設を始めました。

 

豊臣秀吉の建てた大坂城天守(豊臣大坂城)は1585(天正13)年に完成しました。しかし、豊臣秀吉の死後、1614(慶長19)年の大坂冬の陣で講和条件として外堀を埋められ、冬の陣から4か月後の1615(慶長20)年の大坂夏の陣で、大坂城はついに落城し、豊臣家は滅亡しました。

 

大阪城は「太閤はんのお城」として地元大阪でも愛されていますが、豊臣大坂城の遺構は現在すべて埋め尽くされています。

徳川大坂城

江戸幕府は大坂藩を廃止して大坂を幕府直轄領(天領)にしました。そして徳川家康の指示のもと、1620(元和6)年に2代将軍徳川秀忠は、焼け落ちた豊臣大坂城の上に盛り土をして完全に埋めてしまい、その上に丸ごと新しい徳川の大阪城を築城したのです。調査の結果、残されている櫓や石垣もすべて徳川大坂城のものと判別されているようです。

 

秀吉が築いた大坂城を消し去って、徳川の新しいイメージを植え付けたかったのでしょう。新たな2の丸、3の丸も作られ、1629(寛永6)年に徳川大坂城は完成しました。

 

徳川大坂城は1665(寛文5)年に落雷による火災により天守を焼失し、以降は天守を持たないお城になっていました。

復興天守大阪城

現在の大阪城天守)は、第7代大阪市長、關一が1923(昭和3)年に昭和天皇の即位記念として計画されたものです。

民間から150万円の寄付を募って、1931(昭和6)年に完成したコンクリート製の天守です。

 

なんと、豊臣大坂城、徳川大坂城と比べて復興天守大阪城が一番長命となってしまいました。

大阪城散策

大手門から

大阪歴史博物館から本町通りを渡った所から大阪城6番櫓を望みます。

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外堀を渡って大手門に着きます。

大手門は1628(寛永5)年、徳川幕府大阪城再築の際に創建されました。

国の重要文化財に指定されています。

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こちらが多門櫓です。

こちらも重要文化財です。

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こちらは、大手口枡型の巨石です。

表面積が約29畳分とのことで、どうやってこんな大きな石が運ばれたのでしょうか。

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こちらは桜門枡形の巨石。

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漸く大阪城天守が見えてきました。

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大阪城の北側から

大阪城の横を抜け京橋方面に抜けます。

大阪城から堀を除くと、紅葉が始まっている様子がわかります。

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大阪城の横をと売り抜けると迫力のある姿。

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晩秋の大阪城

北側から撮影してみました。

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前半は文章の羅列、後半は写真多めでバランスが取れない記事になってしまいました。

 

晩秋の大阪城、成り立ちとともに記事にまとめてみました。

梅田でキャンドルナイトに遭遇してきた

1000000人のキャンドルナイト@OSAKACITY

2019Winter西梅田

会社から帰宅時にリッツカールトンホテル大阪の前を通ると冬のイルミネーション。

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綺麗なイルミネーションにちょっと心を動かされながら、もう12月なんだと感傷に浸っていると、目の前の西梅田公園が異様な光景に。

昨日(12月4日)のこと。

ちょっと不思議な、そして素敵なイベントに遭遇しました。

 

西梅田公園がキャンドルに包まれています。

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すべてがガラスの器に本物の蝋燭の光です。

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何事かと思い、警備をしているおじさんに「これは何のイベントですか」と聞いてみると、年に1回1日限定で冬に行われるキャンドルナイトなんだそう。

 

毎年この時期になると行われるとのことで、私は全く知りませんでした。

西梅田公園

普段は、この西梅田公園、ダンスの練習やジャグリング、スケートボードなどを楽しむ若者でにぎわっています。

 

今日は様変わり。

 

このイベントを知っている人でしょうか、一眼レフのカメラを抱えている人にもたくさん出会いました。

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毎日新聞大阪本社前

西梅田公園を1本道路を挟んだ毎日新聞大阪本社前。

ここにもキャンドルが沢山飾られています。

 

そしてコーラス隊が讃美歌を歌っています。

クリスマス感満載です。

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リッツカールトンホテル大阪前

ここには個人の作品なのでしょうか。

名前とともにキャンドルが飾られています。

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家に帰って調べてみると、自分や家族、未来の地球の為に出来ることを考え、「気づき」につなげるアートイベントなんだそう。今回で29回目!!とはびっくりです。

 

協力施設や企業は約2時間のライト・オフをしてキャンドルが映えるようにしています。

 

阪神電鉄、吉本ビルディング、サンケイビル毎日新聞社が主催しているようで、西梅田公園はCANDLE JUNさんの演出だそうです。

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こんなイベント良いですね。

何で知らなかったんだろう。