夢の欧亜連絡ルート 鉄道博物館に行ってきました
パリまで15日間の豪華な旅行
欧亜連絡ルート
1906(明治39)年に主な鉄道は国有化され、1912(明治45)年には新橋~下関間をおよそ25時間で結ぶ特別急行が走り出しました。
当時は、東京から下関へ特急で走り、下関からは関釜航路で釜山へ行き、中国、ロシアを経由して鉄道でヨーロッパに行くという欧亜連絡ルートが整備されたそうです。
1枚の切符で東京からパリまで15日間かけて旅行が出来ました。
併せて、新橋から敦賀港を通って、船でウラジオストクへ行き、ウラジオストクからパリやロンドンまで行くルートもできました。
日本からヨーロッパに行く主要ルートとなり、1941(昭和16)年に第二次世界大戦が始まるまで、欧亜連絡ルートは走り続けたそうです。
その時走っていた特急「富士」の展望車の車内です。
そしてこちらが展望車の外観です。
日本からヨーロッパに行く定番ルート
当時は船で太平洋航路を使って太平洋を渡って、北米横断鉄道、大西洋航路でヨーロッパまでは1カ月弱。スエズ運河経由の海路で1ヶ月半。
欧亜連絡ルートを使うと15日間と、船に比べて時間は大幅に短縮されました。
当時のシベリア鉄道の様子。
当時のベルリン駅。
そして終着パリ駅です。
大正4年の大学卒の初任給が40円の時代に東京~ロンドンの寝台料金を含む15日間の料金は600円(産経ニュース2016.7.24)だったそうです。
1913(大正2)年にはなんと世界一周、東半球一周の周遊券も発売されたそうです。
まさに夢の欧亜連絡ルートでした。
欧亜連絡切符の東京~パリ一等車の切符。
次回も鉄道博物館からお伝えします。