歴史ステーションから 鉄道博物館に行ってきました
世界一への飛躍の時代
戦後の復興から
1872(明治5)年9月に新橋~横浜間の鉄道開業するより以前の、開国とともに海を渡ってきた蒸気機関車の模型の話から物語は始まります。
ここ歴史ステーションではこうした鉄道の歴史が、展示品やパネルで飾られています。
下の絵は、当時開業したばかりの新橋駅の様子が描かれています。
そして国産化の歴史や、関門トンネルや丹那トンネルの話、橋梁の話と続いていきます。
今回はこうした中から戦後の復興、世界一の新幹線の話、国鉄の解体とJRの発足の話を中心に見ていきたいと思います。
1950(昭和25)年に起こった朝鮮戦争による特需で日本の経済の復興が始まりました。そうした中、東海道本線の電化は1949(昭和24)年に沼津駅から浜松駅に、1953年(昭和28)に名古屋駅に、そして1956(昭和31)年に全線が電化されました。
当時の上野駅の改札の様子です。
自動販売機もこのころ生まれました。
そして1960(昭和35)年の帰省旅客が集まる上野駅の様子です。
すごい人で溢れかえっています。
当時は、皆さんが鉄道を利用していたことがよくわかります。
世界一の新幹線の誕生
1953(昭和34)年3月に国会で承認された「新幹線」計画により、わずか5年で完成され、東海道新幹線は1964(昭和39)年10月1日に開業となりました。
この時は、超特急ひかり号が時速200㎞で東京~新大阪間を4時間で結びました。
まさに太平洋戦争からの復活のシンボルで、世界銀行から8,000万ドルを借入して未知の速度200㎞を目指して計画されました。
日本の鉄道が開業して100年の記念行事として1972(昭和47)年にリニアモーターカーの走行実験を公開したそうです。
現在東京~名古屋間で建設が進められているリニア中央新幹線の技術開発が既にこの時代から進められていたのは驚きですね。
その後1972(昭和47)年に新大阪~岡山間が、1975(昭和50)年に岡山~博多間が開業し、新幹線が東京から九州まで繋がりました。
1982(昭和57)年6月23日には大宮~盛岡間が暫定開業し、東北新幹線の開業も進んでいきました。
国鉄解体
処理する債務は37兆円
国鉄は公共企業体として独立採算制を求められていましたが、路線の新設や廃止、運賃の改定を独自に行うことはできませんでした。
上記の新幹線の建設のように政治主導で行われたものもあり、「我田引鉄」と言われたように、政治家が自分の出身地に新幹線を引くといったことも行われました。
その結果、下の運賃改定の社内ポスターによると、1975(昭和50)年の累積赤字は3兆1千億円と急上昇してしまいました。
また、東北新幹線が暫定開業した1982(昭和57)年の国鉄の借入金は16兆円に及んだそうです。
そして、1982(昭和57)年度の1日の赤字は57億円だったそう。
国鉄終焉当時は何と37兆円の債務が残ってしまったそうで、25.5兆円を国鉄清算事業団に引き継がせ、1987(昭和62)年4月1日に国鉄の分割民営化がなされ、国鉄は終わりを迎えました。
車内に張り出された国鉄分割民営化のポスターです。
新生JR
全国を6つの地区に分けた新生JRとJR貨物が誕生して既に30年以上が経過したんですね。
今の若い人は「国鉄」という鉄道があったことを知らないかもしれません。
本州3社とJR九州は国から施設を買い戻し、株式上場を果たしました。
一方、JR北海道は存続が危ぶまれる事態に陥っています。
地震や台風などの災害に遭いながらも復興を果たしてきた鉄道の歴史。
JR北海道やJR四国も何とか存続できるようにと願っています。
色々と為になり、考えさせられた歴史ステーションでした。
まだまだお伝えしたいことはあるのですが、鉄道博物館については以上となります。
どこかで別の記事で鉄道博物館についてお伝えできたらと思います。
最後までお読み頂きましてありがとうございました。