湯浅伝統的建造物群保存地区を訪ねて その2
醤油発祥の町
醤油博物館
湯浅の古い街並みを歩いていると醤油博物館がありました。
醤油が造られる行程を再現しています。
日本人の味覚の根源である醤油はここ湯浅で生まれました。
味噌を作る過程で野菜から水分が染み出し桶に溜まる、これを今までは捨てていたのですが、ある時その一滴をなめてみると、すごく芳醇な味がする、これが醤油の始まりと言われています。
1535(天文4)年、醸造家の赤胴三郎四郎が100石の醤油を漁船に積んで大坂に出荷したことが商業としての醤油の最初の記録が残っているようで、これ以前から湯浅で醤油が造られていたことが分かります。
今では、醤油の生産量は野田醤油のキッコーマン、銚子醤油のヤマサやヒゲタしょうゆを抱える千葉県が圧倒的な1位です。
愛知県が第3位。
湯浅のある和歌山県の醤油の生産量は、なんと全国36位だそう。
この地から全国に広まっていったのですが。
江戸時代には紀州藩の保護のもとに発展した醤油醸造業も、明治に入ると藩の保護が無くなり、銚子で発展した大手メーカーの進出により、醤油醸造業は衰えていったのです。
角長醤油のある町並み
1841(天保12)年創業の湯浅醤油の角長は今でも現役の醤油醸造業。
そしてこの角長がある場所が湯浅の古い街並みのメインストリートです。
お邪魔した時はちょうど秋祭りが行われていました。
ゆったりした時間が流れる中、懐かしいどこかほっとする雰囲気でした。
日本遺産
文化庁が平成27年に創設した、地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化、ストーリーを認定して国内外に発信していくという制度が日本遺産です。
ここ湯浅も平成29年に「醤油醸造文化」に関するストーリーが日本遺産に認定されています。
中国に渡った僧侶が特別な味噌を日本に伝え、この桶に溜まった汁に紀州湯浅の人々が工夫を重ね生まれたのが現在の醤油で、醤油造りの歴史と伝統が今でも人々の暮らしの中に生き続けている、ということが日本遺産のストーリーだそうです。
以前お邪魔した奈良今井町や大阪富田林寺内町と比べて、 実業が伝統的建造物群保存地区となっていることから、生活感が味わえる町でした。
規模はそんなに大きくはありませんでしたが、歩きごたえはあると思います。
熊野古道
紀伊路
ここ湯浅は熊野古道が通っています。
湯浅が栄えた理由の一つが熊野古道の存在です。
熊野詣の宿坊としても繁栄していきました。
今でも熊野古道が湯浅の町に残っていますが、こんな細い道でした。
昔の人たちは、ここを歩いて熊野詣を行っていたのでしょうか。
熊野道の碑が残っています。
こちらが立石茶屋。
無用の休憩所になっています。
立石茶屋の内部です。
湯浅の醤油が飾られています。
世界遺産
熊野古道は「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に指定されていますが、ここ湯浅の熊野古道は世界遺産ではありません。
また、アスファルトで舗装されている個所も、世界遺産に認められていないようです。
今回は2回にわたって湯浅伝統駅建造物群保存幾を紹介させて頂きました。
いずれは機会があれば、熊野本宮大社にも行ってみたいですね。