湯浅伝統的建造物群保存地区を訪ねて その1
湯浅町 醸造の香りに生きる町
きのくに線に乗って
湯浅は醤油醸造等の商工業を中心に発展していきました。その重厚な歴史的風致を現在にまで伝えているとして、2006(平成18)年12月に全国初の醤油醸造町として伝統的建造物群保存地区に指定されています。
湯浅に行くには和歌山駅からきのくに線(紀勢本線の一部)に乗って各駅停車で約45分かかります。電車は1時間に2本(特急くおしおを除く)程度出ています。
伝統的建造物群保存地区までは、湯浅駅から徒歩で約10分。
昔の町並みが現れます。
紀州湯浅の歴史
湯浅は熊野参詣において上皇や貴族たちが滞在する宿所として栄え、平安後期には豪族湯浅氏の本拠地として栄えたそうです。
中世に入ると熊野信仰が武士や庶民たちにも広がり、熊野街道の西側に町は広がりました。江戸時代に入ると、鎌倉時代に金山寺味噌から生まれたとされる醤油の醸造が広がり、紀州藩の保護のもと、藩外への醤油販売が一大産業となっていきました。
文化年間(1804~1818年)には92軒もの醤油屋が営業していたそうです。
町並み散策
甚風呂
保存地区を訪れると古い街並みが広がってきます。
路地を入ると甚風呂がありました。
ここは、江戸時代に作られた公衆浴場です。正式名称は「戎湯(えびすゆ)」という名前ですが、経営者の名前から「甚風呂(じんぶろ)」と呼ばれていたそうです。
現在の建物は明治初期のものと思われますが、4代目の須井甚一氏が昭和60年に営業を終えるまで現役の銭湯として住民に愛されてきたということです。
主を失った甚風呂は10年以上放置されていましたが、平成13年に町の財産となり、現在のように整備されたようです。
中に入ると当時使われていた湯船がそのまま残っています。
銭湯としては小振りの湯船でした。
当時の映画のポスターや看板なども飾られ、まるで大正昭和の博物館のようです。
何か懐かしい感じにさせられます。
テレビやラジオ。
年代ものです。
当時こちらで使われていたものなのでしょうか。
大仙掘
醤油の香りがしてきそうな街並みを歩きます。
お邪魔したのはちょうど秋祭りの日。
白壁と板壁のコントラストが綺麗です。
ここが大仙掘です。
大仙掘は湯浅湾に注ぐ山田川に作られた内港で、出来たのは江戸時代だそうです。
ここから醤油を積んで日本各地に運ばれていきました。
逆に日本各地から原材料がここ湯浅に運ばれてきたのです。
湯浅町の歴史の意匠めぐり散策マップから。
次回も湯浅からです。
醤油博物館に行ってきましたので、紹介したいと思います。