灘の酒蔵 灘五郷めぐり
灘の酒蔵について
灘五郷とは
日本三大酒処とは灘(兵庫)、伏見(京都)、西条(広島)のことと言われています。
共通点は水が良いところです。
特に灘が酒処となっている理由は、六甲山からの西宮の湧水(宮水)の他に、灘の近くの丹波、但馬が山田錦などの酒造好適米の産地となっていることです。
また、自然の良港があり、江戸に酒を運びやすかったことも理由の一つです。
灘の酒蔵と一括りしますが、実は灘には5つの地域に分かれた郷に分けられます。
下の地図は灘五郷酒造組合さんのHPからお借りしたものです。
それぞれの代表するお酒と会社は以下の通りです。
御影郷 白鶴(白鶴酒造(株))、菊正宗(菊正宗酒造(株))、剣菱(剣菱酒造(株))
戎麺(坊垣醸造(合))、福寿((株)神戸酒心館)、仙介・琥泉(泉酒造(株))、大黒正宗((株)安福又四郎商店)、甲南漬(高嶋酒類食品(株))
魚崎郷 千代田蔵(太田酒造(株))、松竹梅(宝酒造(株))、浜福鶴((株)浜福鶴銘醸)、櫻正宗(櫻正宗(株))
西宮郷 日本盛(日本盛(株))、灘自慢(國産酒造(株))、喜一(木谷酒造(株))、金鷹(本野田酒造(株))、白鷹(白鷹(株))、白鹿(辰馬本家酒造(株))、灘一(松竹梅酒造(株))、濱娘(大澤本家酒造(株))、島美人(北山酒造(株))、徳若(万代大澤醸造(株))
名だたるお酒のメーカーが並びます。
灘の酒蔵の歴史について
灘でお酒が造られ始めたのは室町時代の頃と言われています。
江戸の初期には池田や伊丹が江戸向けの酒造地として栄えましたが、江戸中期には灘が江戸向けの銘醸地として発展して行きました。
先にお話した、宮水や原料米、江戸へ向かう樽回船のほか、灘が銘醸地として発展した理由の一つに六甲山系の急流を利用した水車の存在がありました。
これまでの足踏み精米にくらべて水車を利用することで、精米歩合を高めたほか、精米量の飛躍的な増大により、量産化が図られたのでした。
江戸の後期には、江戸で飲まれる日本酒の8割を灘の酒蔵が供給していたと言われています。
灘の酒蔵巡り
阪神電車に乗っていきます
灘の酒蔵巡りは阪神電車に乗っていきます。
阪神電車では「灘は日本一の酒どころ」のラッピング電車が走っています。
下の二枚の写真は灘五郷酒造組合HPのものです。
ここを徒歩と阪神電車を使って酒蔵巡りをします。
実際に廻ったルートは
こんなルートで回ってきました。
徒歩10分で沢の鶴資料館へ行きました。
そこから徒歩15分で神戸酒心館(福寿)に。
そこから徒歩でこうべ甲南武庫の郷。
新在家に戻って昼食を食べ、新在家駅から住吉駅まで阪神電車で移動。
徒歩5分で白鶴酒造資料館に行きました。
西宮神社(戎神社)に顔を出した後、白鹿記念酒造博物館、酒ミュージアムクラシックス、白鷹緑水苑。
次回から数回にわたって酒蔵(見学施設と試飲)を紹介していきます。