高度経済成長時代の憧れ「ひばりヶ丘団地」 江戸東京博物館より
ニュータウンの誕生
マンモス「ひばりヶ丘団地」
ひばりヶ丘団地は、1959(昭和34)年、
当時の北多摩郡保谷町・田無町・久留米町(現:西東京市・東久留米市)
の3町にまたがる区域に作られた団地です。
徒歩で15分です。
約33.9haの敷地面積に2~4階建ての住棟が184棟建っており、
当時は最先端の建物として注目され、
1960(昭和35)年には、皇太子・皇太子妃(現在の上皇・上皇后)
の視察をはじめとして多数の要人が視察に訪れ、
その様子は当時のニュースで配信されました。
UR都市機構ホームページより
元は、中島航空金属田無製造所(一部は現住友重機械工業田無製造所)
の跡地です。
造成当時、当団地は日本住宅公団(現UR都市機構)最大の公団住宅であり
後に称される「マンモス団地」の端緒であった他、
野球場・テニスコート、市役所出張所、緑地公園や
名店街、学校、スーパーマーケットなどを団地敷地内に擁し、
当団地の街づくりは、後に建設された公団住宅の手本となりました。
建蔽率は驚異の33%。
ゆったりした敷地の中に木々が生い茂り、
自然環境に恵まれた住環境と、
都心へのアクセスの良さは高度経済成長時代の憧れとなりました。
団地再生事業
この「憧れの団地」も40年以上がたち、老朽化が進み、
レトロな街並みと言われるようになりました。
UR都市機構は1999(平成11)年から団地再生事業に着手。
樹木など既存の環境資源を生かし、緑と十分な空間を確保したまちづくりと、
団地の歴史を継承することを基本方針として、
まず賃貸住宅の建て替えを実施。
2012(平成24)年に完了、ひばりが丘パークヒルズに生まれ変わった。
UR都市機構ホームページより
江戸東京博物館でひばりヶ丘団地が再現
当時の最新設備が庶民の憧れ
江戸東京博物館では、2015年の常設展示リニューアルの際に、
1962(昭和37)年頃のひばりが丘団地の室内の様子を
実物大模型で再現した展示を新設しました。
当時は高度経済成長の真っ只中。
1956年に経済白書で「もはや戦後ではない」と記述され、
同年に国際連合に加盟、
日々経済成長を感じられる時代だったようです。
三種の神器と言われた洗濯機、冷蔵庫、白黒テレビが
庶民の憧れとなりました。
部屋には冷蔵庫が置かれ、ベランダには洗濯機が見えます。
水洗トイレとお風呂です。
1962(昭和37)年頃は、
まだ汲み取り式トイレと銭湯が一般的だった時代でした。
当時の最新設備を備えていました。
このひばりヶ丘団地を皮切りに、日本各地に団地が造成され、
ニュータウンが造られ、生活の進化が進んでいきました。