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旅行やマイルの話を中心に、たまにグルメやラーメンの話など気ままなことを好きなように書いている大阪発信のブログです。

皆さんの給食はどれですか 江戸東京博物館より

学校給食の変遷

戦後の学校衛生刷新

1946(昭和21)年に戦後の学校給食の方針が定まり、

12月24日に東京、神奈川、千葉で試験給食が実施されました。

 

1947(昭和22)年に全国で300万人に学校給食が

開始されました。

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(全国学校給食会連合会ホームページより トマトシチューと脱脂粉乳

1952(昭和27)年には全国すべての小学校で給食が実施されました。

 

1960年代の学校給食

全国の小学校で給食が実施されてからは、

日本学校給食会が脱脂粉乳の輸入業務を開始し、

ユニセフからも脱脂粉乳が寄贈されました。

 

下の写真は1964(昭和39)年のモデル献立資料です。

メニューは揚げパン、脱脂粉乳、おでんでした。 

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1970年代の学校給食

1970(昭和45)年には、

米利用実験指定校、米粉混入パン利用実験実施校、米加工品利用校など

学校給食における米の利用実験が開始されました。

 

また、1976(昭和51)年に、米飯が正式に導入されました。

学校給食用の米穀は消費者用の米価の35%引きだったようです。

 

下の写真は1975(昭和50)年のモデル献立資料です。

食の洋風化とオキアミの食用化が模索されていたそうで、

メニューは、バターロールパン、牛乳、オキアミチーズロールフライ、

八宝菜、果物(メロン)です。f:id:ITMBASE:20200119164423j:plain

1980年代の学校給食

1970年代当時は米は食糧管理法という法律の下、

国が米を全部農家から買い取って、販売していました。

 

しかしながら国の農業政策の失敗により、

国は大量な米を在庫として抱え込むようになってしまいました。

給食はパンが主体だったことから、学校給食に米を出す動きが

政治的に高まっていったのです。

 

1979(昭和54)年には学校給食用の米穀の価格は、

消費者米価の60%引きに定められました。

週1回以上の米飯給食開始校には70%値引きの特別措置が出来ました。

 

下の写真は1987(昭和62)年のモデル献立資料です。

米飯給食が一般化され、一般の家庭の食事と変わらなくなりました。

メニューは、麦飯、牛乳、巻き蒸し、高野豆腐の和え物、

味噌汁、千切りキャベツです。

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1990年代の学校給食

平成に入ると、学習指導要領が改定になり、

学校給食は、特別活動としての学級活動に位置付けられました。

お腹を満たすという給食から、教育活動の一環ということになったのでしょうか。

 

献立も食育の観点から幅広いレパートリーに代わっていきました。

下の写真は1995(平成7)年のモデル献立資料です。

メニューは、餡かけ焼きそば、大学芋、シャキシャキの和え物、

にら玉スープ、果物、牛乳です。

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2000年代の学校給食

1999(平成11)年、学校給食用の米穀の値引き措置が廃止されました。

また、都道府県が自由に米の買付を行えるようになりました。

 

食に関する意識の高まりや、食育の幅が広がり、

テーブルマナーや食事時のコミュニケーション、

メニューを通じた異文化理解に考慮した献立が組まれるようになりました。

 

下の写真は2006(平成18)年のモデル献立資料です。

メニューは、キムチチャーハン、チーズ春巻き、中華風ジャコサラダ、

きのこスープ、やわらか杏仁豆腐、牛乳です。

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 皆さんの給食はどんなでしたか。

給食の変遷、如何でしたでしょうか。

 

江戸東京博物館シリーズは今回が最終回です。

長い間お付き合いいただきましてありがとうございました。