空へ!!

旅行やマイルの話を中心に、たまにグルメやラーメンの話など気ままなことを好きなように書いている大阪発信のブログです。

江戸町人の暮らし 江戸東京博物館より

江戸時代の町人は如何に生活していたのか

町人文化

江戸時代前半、日本では職業により士農工商身分制度が成立しました。

楽市楽座政策の下、免税の特権や営業の自由を承認することで

商工業者を城下町に誘致しました。

これにより農業と商工業の職業分離が進み、

商工業の専門性が高まりました。

こうした都市に居住した商工業者のことを

町人と呼ぶようになりました。  

 

町人は、江戸時代の身分制度における階級の1つでしたが、

町人の中でも階級の差がありました。

家屋敷を所有し表通りに店を構える「旦那衆」から、

裏通りに「裏店」と呼ばれる小ぢんまりとした店を構える下層町人、

没落した都市下層民までさまざまでした。

f:id:ITMBASE:20200111090451j:plain

旦那衆は、町政や公事に参加し、

町年寄を選ぶ選挙権や被選挙権を持つなど、

社会的身分や公的な権利と義務を持っていました。

 

町人たちは、優れた技術力と潤沢な資金により、

独自の都市文化を形成、発展させ、

貴族や武士などの特権だった文化や習慣が庶民にも広まって行きました。

この大衆文化、都市文化は「町人文化」と呼ばれ、

様々な形で発展していきました。

 

食文化

食事は、3食とも一汁一菜、もしくは二菜が基本です。

白米と汁物に漬物や野菜の煮物、魚などの副菜が付き、

わずかな副菜で大量の白米を食べる極端な白米偏重の偏った食生活でした。

白米を食べることが「粋」で、江戸っ子の証とされていたようです。

f:id:ITMBASE:20200111090145j:plain

f:id:ITMBASE:20200111090209j:plain

1人が白米を食べる量は1日当たりなんと5合!!だったとも言われています。

肉類や卵黄類を食べるのは、病気をした時などに限っていたようです。

また、味噌は貴重品で、

庶民が口にできるようになったのは、江戸中期頃からでした。

 

玄米の糠にはビタミンB1が含まれますが、

白米のみを食べることでビタミンB1欠乏症の脚気になる人が

多かったようです。

この脚気は「江戸患い」と呼ばれていました。

 

「初物」を食べると寿命が75日延びると言われています。

江戸っ子の間では「初物食い」競争が流行していました。

初鰹や、初茄子、新茶などが人気でした。

初鰹には1本に6両(今の価値で20万円以上)の

値段が付けられることあったそうです。

f:id:ITMBASE:20200111090323j:plain

行事や娯楽の楽しみ

節句行事

この時代、武士や貴族のものだった節句行事が庶民に広まり、

都市部の町人を中心に、

元旦、お盆、七草、節分、桃の節句端午の節句、七夕などの

年中行事が行われるようになりました。

f:id:ITMBASE:20200111091024j:plain

f:id:ITMBASE:20200111091123j:plain

 汐干狩(潮干狩)

町人たちにとって、潮干狩りは春の楽しみの1つでした。

江戸では品川や洲崎の潮干狩が有名でした。

潮干狩の際には、袖を短く仕立てた潮干小袖を着るのが粋とされました。

江戸湾の浜辺で獲れたアサリは、

アサリ売りが「あさりむきん(むき身)」と言いながら

江戸市中を売り歩いていました。

アサリ売りは、子供のいいアルバイトだったようです。

舟遊び

屋形船

江戸時代初頭まで、舟遊びは御座船を持つ将軍や大名の特権でしたが、

河川の整備が進み、旦那衆なども舟遊びを楽しむようになりました。

夏になると、大川(隅田川)に涼み舟が集まり、賑わいを見せたようです。

舟も徐々に大きくなり、大きなもので長さ26間(約47m)、

18人の船頭が乗る屋形船がありました。

17世紀後半以降は、幕府が度々倹約令を出し、

屋形船の大きさや船数に制限をつけたことから、

船は小さく質素なものとなりました。

f:id:ITMBASE:20200111091314j:plain

 屋根舟

下層の町人たちは、舟宿や料理屋が所有する「屋根舟」で

舟遊びを楽しみました。

屋根舟は四本の柱と屋根を付けた小型の舟で、

簾(すだれ)がかけられていました。

これは、武士以外は障子をたてる事を禁じられていたためです。

舟頭は1人で、竿の代わりに櫓で漕いでいました。

屋根舟の数は、18世紀後半に50~60艘だったものが、

19世紀初頭には500~600艘にまで増加したといいます。

花見

飲み食いしながら桜を観覧する花見は、

特に江戸の町人の間で人気のある季節の楽しみでした。

江戸で最も有名だった花見の名所は、今も名所となっている上野公園で、

当時は忍岡(しのぶがおか)と呼ばれていました。

 花火

江戸時代初期、花火と言えば

線香花火やねずみ花火などの個人で楽しむものでした。

『和漢三才図会』には「鼠花火」や「狼煙花火」などが紹介されています。

最初に行われた打ち上げ花火は、

1733年に徳川吉宗隅田川で開催した「川施餓鬼」と言われています。

 旅行

道路の整備や、早駕籠、馬などの交通手段が発達するにつれ、

庶民の旅行が活発になって行きました。

特に人気があったのは、伊勢神宮への参拝(伊勢参り)や温泉での湯治でした。

移動手段は徒歩が多く、江戸から伊勢神宮までは片道15日も掛かりました。

江戸時代の町人の一生

平均寿命は56歳 

 江戸時代の平均寿命は50歳から60歳くらいだったと言われています。

60歳の還暦を迎えることは江戸時代の人にとっては

本当に大きな慶事だったようです。

 

今の時代と比べると20年以上短命だったのですね。

f:id:ITMBASE:20200111091546j:plain

元服は15歳

大人になるのは15歳。

男性は、15歳になると前髪を剃って大人の仲間入りをしていたそう。

 

12歳ごろから丁稚奉公に行っていたようです。

当時の一生はギュッと凝縮されていたのかもしれません。

 

でも、12歳で丁稚奉公、15歳で元服とは逞しかったのですね。

 

ちょっと江戸時代の町人の生活が垣間見れたような気がします。