心ゝ和 橿原神宮駅の本格的ラーメン店で昼食を食べてきた
橿原神宮前の高評価のラーメン店
ここはラーメン店なの
予め調べておいたラーメン店、心ゝ和(COCOWA)に行ってきました。
お店の前で、ふと「ここのお店でいいのかな」と躊躇。
なぜならお店の外観が全くラーメン店らしくなく、何屋さん???
定食のメニューと海外BEERフェアの看板。
ポスターは焼き鳥と串カツ、スーパードライ。ラーメンの案内は全くありません。
もう一度店名を確認して、ここで間違いないことを確認して入店しました。
昼飲みできるお店です
11時半頃、店内に入ると7~8割ぐらいのお客さんが入っています。
ラーメンを食べている人がほとんどですが中には午前中からガッツリ飲んでいる人も。
日本酒も行けます(笑)。
どうやら居酒屋とラーメン店が同居したお店のようで、食べログでもジャンルは「居酒屋」と「ラーメン」になっています。
ランチメニューにもほろ酔いセットの文字。
ビール(生中)とつまみ1品で500円です。
私も午前中に歩き回ったので、ちょっとエネルギー補給です。
こちらがほろ酔いセット。
午後からも予定がありますので、この1杯で我慢します。
ラーメンのお味は
とんこつラーメンを注文
とんこつラーメンの他にあさり塩ラーメン、つけ麺、辛みそつけ麺、つけ麺あつもりがあるようです。ラーメンセットもありますが。
ここはシンプルにとんこつラーメン700円を注文します。
ラーメンが到着しました。
スープはとろみがありますが、臭みは全くありません。
飲みやすいスープです。
麺は中太のストレート麺です。
チャーシューにもしっかり味がつけられていて厚みも充分です。
とても美味しいラーメンです。
飲んだ後の締めのラーメン
今日はランチで訪問しましたので、ほろ酔いセットとラーメンのみですが、夜に訪問したらガッツリ飲んで締めのラーメンというのも良いかもしれません。
橿原神宮駅、中々来る機会は有りませんが、また来る機会があれば再訪有のお店です。
良いラーメン店を見つけました。
ごちそうさまでした。
奈良今井町 河合家住宅と高木家住宅
河合家住宅
現役の造り酒屋
明和9(1772)年にはすでに酒造業を営んでいたことが記録されている河合家住宅です。白漆喰塗籠めの2階部分の丸窓が特徴的です。今井町の中では早くから2階建てになった建物だそうです。北東に連なる納屋が杜氏の宿泊所、休憩所、風呂、トイレに供した建物でした。
古くより「上品寺屋(じょうぼんじや)」の屋号で酒を造ってきた河合酒造です。軒先の杉玉が現役の酒蔵を象徴しています。今井町に現存する唯一の酒蔵だそうです。
1階のみ中に入れます。
国指定の重要文化財になっています。
代表作は
造っているお酒の代表作は、出世男、うねび、といった銘柄です。
大吟醸出世男は山田錦を35%まで磨き上げて造ったお酒だそうです。
昔使われた酒造りの道具も展示してあります。
高木家住宅
上皇陛下が休憩された住宅
こちらも18世紀後半に建てられた2階建ての旧家で、河合家と同様造り酒屋を営んでいたそうです。本家四条屋の分家で屋号を「大東の四条屋」と呼ばれていました。
本家の酒造業を助け、その後は醤油屋も営んでいたそうです。
高木家住宅も国指定の重要文化財となっております。
現在は酒蔵は廃業しており、昔のたたずまいを内部まで公開しています。
今の上皇陛下が天皇陛下の時代に今井町を訪問したことがあり、その時の休憩場所がここ高木家住宅だったそうです。
そしてここが天皇陛下が休憩された書院造りの座敷です。
座敷の中に上がって入ることもできます。
江戸時代に使用された火縄銃
江戸時代の商家の大福帳や火縄銃など珍しいものも展示されています。
こちらが火縄銃です。
そして大福帳や江戸時代の生活用品など。
今井町を歩いてみて
前回紹介した旧米谷家住宅や今回紹介した河合家住宅、高木家住宅の他にも数多くの江戸時代の街並みが保存されています。
観光客もそれほど多くは無く、ゆったり回ることが出来ます。
私は今回初めて今井町を訪れましたが、大阪からわずか1時間でこんなに素敵な街並みがあることを全く知りませんでした。歩いて回るのにもちょうど程よい広さです。
3時間もあれば街をゆっくり見て回れます。
これから爽やかな季節になりますので、関西にお住まいの方であれば是非足を延ばしてみてはいかがでしょうか。
奈良今井町 重要伝統的建造物群保存地区を尋ねて
江戸時代の街並みが残る町
日本一の伝統的建造物の数
奈良県橿原市にある今井町。江戸時代の歴史的風致地区として重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、東西に約600m、南北に約310m面積にして17.4haの中に500棟以上の伝統的建造物が存在しています。これは日本一だそうです。
大阪からは近鉄大阪線大和八木駅から近鉄橿原線に乗り換えて1駅目、近鉄八木西口駅で降りて徒歩5分でこの街並みに出会うことが出来ます。
このような街並みが出迎えてくれます。
大阪富田林市の寺内町と似たような雰囲気ですが、規模はこちらの今井町の方が大きいようです。
大和の金は今井に7分
天文年間(1532~1555年)に本願寺派の称念寺が建てられたことが今井町の起源と言われているそうです。
ここを起点に一向宗を布教して農民たちを門徒化して厳重武装をしながら織田信長と対立して一向一揆を起こしていたそうです。
本願寺の降伏に伴い、ここ今井町も武装解除を行い、その後は商工都市として発展していったそうです。
現在本堂は修繕中であり、境内に入ることは出来ません。
江戸時代に入り幕藩体制が整うと今井にも代官が置かれ、幕府直轄領として支配されたそうですが、一般的な農村が20~30軒程度だった当時、1,000軒規模の今井町は相当の規模を有する都市でした。
大和の金は今井に7分と言われるほど繁栄していたようです。
重要文化財の豊田家住宅です。
こちらは重要文化財音村家住宅。
堀に囲まれた自治都市
環濠跡
この町には堀で巡らされ、見通しのきかない筋違いの道路などの僧侶や門徒を守るための工夫がなされました。こうした堀の跡が今でも残っています。
ここ今井町は大きな財力を抱えていたため、江戸幕府も税金を得るために優遇し、大きな自治権を与えました。
警察権などを与え、親戚以外のものを泊めてはいけないなどの独自のルールも制定されたそうです。
旧米谷家住宅
今井町で内部を公開している家が3軒あります。その内の1軒が旧米谷家住宅です。
元々は「米忠」という屋号で金物屋を営んでいた旧家だそうです。18世紀中頃の建築だそうで広い土間が特徴です。
テレビドラマのロケ地にも利用されたりお茶のテレビCMにも利用されたりしたそうです。
現在は国に寄贈されて、国有で一般公開されています。
入場は無料です。
台所の様子です。
次回ももう少し今井町をご案内します。
古事記の日本神話に魅了されて 橿原神宮に行ってきた
ようこそ日本のはじまりへ
橿原宮の宮跡
橿原神宮のHPには「ようこそ日本のはじまりへ」のコピーが書かれています。
神日本磐余彦(カムヤマトイワレビコ 後の神武天皇が九州高千穂の日向(ヒムカ)から東征を続け、畝傍山の南東の麓に大和はじめての都、橿原宮を創建したと言われています。ここ橿原は日本の歴史と文化の発祥の地ということになります。
日本書紀には畝傍山の南東の橿原後に宮を作ったと記載され、古事記には畝火之日檮(うねびのかしはら)宮と記載されています。
畝傍山の山麓周辺には天皇陵や遺跡、それらの伝承地が数多くありますが、橿原の宮跡(と言われているところ)には施設が造られた形跡は無く、畑となっていました。当時の上代の都は一代限りで遷都していたので、施設は取り払われ畑に戻したから(形跡が無い)とも言われています。
宮跡は明治時代に決定
畝傍山南東麓のこの地が橿原宮の宮跡と決定されたのは1888(明治21)年です。
幕末から明治時代にかけ、橿原宮がどこにあったのかの論争や研究があり、この地に決まったとのことです。何らかの政治的意図があったのかもしれません。
そしてこの宮跡に神宮を創建したいとの機運が高まり、明治天皇もいたく感銘を受けられ、明治政府は1889(明治22)年に神社創建を認可しました。1890(明治23)年に完成して社号は橿原神宮と決まりました。
橿原神宮がお祀りしているのは初代天皇の神武天皇と媛蹈韛五十鈴媛命(ヒメタタライイスズヒメミコト)です。
橿原神宮参拝
大鳥居
表参道の大参道がまっすぐ進む風景です。
周りを取り囲んでいる木は橿の並木です。
南手水舎です。ここで手を洗い、口を漱いで心身を清めてお参りします。
本殿
本殿を望む外拝殿です。
畝傍山を背景に両脇に長い回廊を連ねた入母屋造りの建物は昭和14年に完成されたものです。
右奥の山が畝傍山です。
外拝殿から本殿をお参りします。
境内には大きな深田池という池があります。
1940(昭和15)年には昭和天皇が橿原神宮に行幸し、秋には日本各地で紀元2600年奉祝式典が挙行されました。この年の参拝者は約1000万人に達したといいます(ウィキペディア)。当時は日中戦争が長期化して物資統制が行われていたこともあり、国民生活の閉塞感や疲弊感を払拭するために、政府主導で大規模に行われたようです。
橿原神宮の境内は50万平方メートルあり、造られたのは比較的新しいですが、規模も圧倒的な大きさで、日本のはじまりを祀っているパワースポットでした。
古事記の日本神話に魅了されて 神武天皇畝傍山東北陵に行ってきた
古事記の話
神話の世界が素敵すぎる
ラグビー日本代表チーム、素敵な試合を本当に有難うございます。
ということで、さて本題です。
今の私のマイブームのひとつが古事記です。
中学生の時の歴史の授業って、縄文時代と弥生時代で1時間、大和朝廷が出来ました、聖徳太子が17条憲法を制定しましたで1時間、という感じでした。日本が成立した頃のことについて全く授業の記憶が有りません。(高校時代は世界史を選択したので、そもそも日本史は勉強していません。)
もちろん今でも解明されていない分らないことが多すぎたり、日本神話を歴史の時間で学ぶのかという問題も有りますが。
八岐大蛇(ヤマタノオロチ)や因幡の白兎の話は小さい頃絵本で呼んだ記憶があるような、無いような・・・ですが。このようなお話はみんな日本神話の古事記に書かれていたお話なのですね。たまたま小野寺優さんの「古事記を現代語訳っていうかラノベ風にしてみた」というブログを読んでドハマリで、いっぺんに古事記やこの時代のお話が大好きになりました。
初代天皇
古事記の中では天照大御神(アマテラスオオミカミ)が大国主命(オオクニヌシノミコト)から出雲の国を譲り受け、孫の邇邇芸命(ニニギノミコト)を地上に降ろしました。
ちなみにニニギノミコトと木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)が結婚した際に一緒に嫁いできた姉の石長比売(イワナガヒメ)が不細工だったことから追い返したところ実はイワナガヒメには永遠の命を司る能力が有り、その為に神なのに寿命が出来たという逸話が有ります。
そしてニニギノミコトの曾孫である神日本磐余彦(カムヤマトイワレビコ)が治めていた九州の日向(ヒムカ)から東征して大和を平定したと言われています。カムヤマトイワレビコとは初代天皇である神武天皇のことです。
神武天皇は古事記では137歳まで生きたことになっています。そしてその後の8人の天皇は欠史八代といわれ名前と都と享年くらいしか記録が残っていません。実際の存在の記録が(歴史として)残っているのは10代天皇の崇神天皇からです。ですから神武天皇が本当に実在したかどうかは不明です。
畝傍御陵
静かな森の中
そんな初代天皇のお墓、神武天皇畝傍山東北陵(じんむてんのううねびやまのうしとらのすみのみささぎ)が奈良県橿原市にあると聞いて行って来ました。近鉄橿原線の畝傍御陵前駅で降ります。
ここから徒歩約10分で神武天皇御陵の石碑があります。
御陵の案内がある森の中を歩いていくと急に開けて鳥居が現れます。参拝者は殆どいない静かな空間で、空気はぴんと張り詰めた感じでした。
2280年前の時代に思いを馳せて
まだ夏の暑さが残る季節でしたが、急に汗が引くような緊張感が走ります。天皇陵は宮内庁によって管理され中に入ることは出来ません。鳥居の前で、神武天皇が橿原に都を開いた2280年前の時代に思いを寄せてお参りをしてきました。
(実際には大和時代は3世紀半ばから7世紀後半とする説が有力なようです。)
ポルトガル旅行記2019 旅行を終えて
ポルトガル旅行の感想
日程について
人生で初めて国際線のファーストクラスに搭乗して、人生で初めてポルトガルを訪れました。そんなポルトガル旅行を少し振り返ってみたいと思います。
今回の日程は以下の通りでした。
時間はすべて現地時間、日本とパリの時差はマイナス1時間、パリとポルトガルの時差はマイナス1時間です。
先ず一番感じたのは時間が足りなかったことです。結構駆け足で回りました。
サラリーマンの夏休みは日数が限られていますので仕方が無いことではありますが。休みの日が足りないというか、ポルトガルは遠かったということか。
夜中に初めての国に着くことと、パリでの乗継時間が5時間以上あることを嫌がって1日目にパリのトランジットホテルに泊まりましたが、ポルトガルの治安を考えれば(今思えば)1日目にポルトガルに入っても良かったかもしれません。
アゲタとかコインブラとかほかの町にも時間があれば行ってみたかったなと思います。
ポルトガルの印象について
ポルトガルの食事は比較的日本人の口には合うだろうと思いました。ただ、薄味が好きな日本人からすると、塩味が強めに感じるかもしれません。あと、食事の量にはびっくりしました。記事にもしましたが、ポルトで食べたフランセジーニャ、1人前を2で分け合いましたが、それでも非常にボリュームがありました。ポルトガルの人は痩せているイメージがあるのになんで食事の量があんなに多いのか、不思議です。
(これで半人前です)
物価は、ヨーロッパの中では比較的安いと思いました。ビールのレギュラー缶300mlで€0.90位、お店で飲んでも€3.0位。ワインもスパーで買えば€2.0位から買うことが出来ます。酒飲みには天国です。
ロンドンやパリのスーパーには醤油やカップラーメンなど日本のものを置いてあるとろもありますが、今回の旅行で入ったポルトガルのスーパーには日本物は置いてありませんでした。町で走っている車もVWやルノーといったヨーロッパの車が多く、日本車はあまり見かけませんでした。
移動について
リスボンもポルトも町の中心地は比較的コンパクトです。交通は非常に便利で、メトロや近郊の国鉄の本数も多く、大抵の所は徒歩とメトロでカバーできます。但し両都市とも坂の町です。どこに行くにも坂の上り下りが有ります。急坂は半端ではなく、なめてかかると翌日には足腰にきいて来ますので注意が必要です。
(この坂の感じわかりますか)
トラム(路面電車)はリスボンもポルトも走っていますが、(この時期は)観光客専用のの乗り物となっていました。トラムは観光客でギュウギュウ詰で、スリが多いのは良くわかります。
治安は良く、夜街を歩いても大通りであれば怖さは全くありませんでした。
残念だったこと
残念な点で言えば、観光客が多すぎたことです。今よく言われるのオーバーツーリズムとでも言いますか、観光施設のキャパ対比観光客が多く、リスボンでもポルトでもシントラに行っても、どこに行っても観光客の長蛇の列でした。
ヨーロッパ人に大人気のポルトガル、サマーバケーションの時期だけなのかもしれませんがすごい人気です。この時期でなければ休みが取れないサラリーマンにはちょっと辛いですね。ポルトの世界一美しい書店レロ・イ・イルマオンの混雑ぶりとかを見るとちょっと加熱過ぎるような気がします。
(レロ・イ・イルオマンの混雑の様子)
かかった費用
マイルを大放出
今回の旅行では今まで貯めてきたマイル38万マイルを思いっきり使いました。
貯めるより使うほうが難しいとも言われるマイル。JALファーストクラスでパリを往復できて、JALのマイルでエールフランスの(シェンゲン内ですが)ビジネスに乗れたわけですから、有効に利用できたと思います。
かかったお金は
マイルを別にすれば、一番かかったお金は宿泊費です。
前泊の東横イン羽田空港2を入れて全部で7泊し、宿泊代は178,475円でした。
(€1.00=125円で計算しています。)
かかった費用は下の表に掲載していますが、合計で302,405円と380,000マイル(と、東横インポイント10P)。
年に1回の豪遊です。
さいごに
色々書きましたが、とても楽しい旅行でした。ポルトガルは思っていた以上に良い所だったと思います。風景、出会った人、食べたもの、乗った乗り物、皆良い思い出になりました。
国際線のファーストクラス搭乗なんて一生に一度の経験だったと思っています。
時間がゆっくり取れるようになったら、またポルトガルを訪ねてみたいです。
今度はゆっくり、じっくりと。
ポルトガル旅行記2019 パリ~羽田行JALファーストクラス搭乗その2
世界で一番贅沢なレストランPart2
妻が食べた和食を紹介
前回の洋食の機内食の紹介に続き、今回は和食を紹介します。
海外で活躍中の日本料理アカデミーUK林大介シェフ監修メニューです。
メニューは8月のものです。
小鉢5彩。
鰻の錦和え枝豆の紹興酒漬け
帆立貝とブロッコリーの辛子和え
人参の胡桃和え鶏鍬焼き
夏野菜のお浸し生姜ゼリー
蓮根包み揚げ です。
お椀は帆立の真薯 リークのすり流し
向付。
スズキの南蛮漬け
シャロレー牛のロースト。
預け鉢。
蒸し鮑です。
メインは強肴。
伊勢海老の黄身トリュフ焼。
こんなコース料理がまさか飛行機の上で食べることが出来るのですからまさに贅沢ですよね。
飯物は生姜ご飯、留め椀は焼茄子の味噌汁 山椒、香の物は昆布佃煮 セロリヨーグルト漬 赤玉ねぎ赤酢漬け だそう。
そしてデザートの甘味は、宗家源吉兆庵~白桃しゃーべっと、福渡せんべい(抹茶)~
う~ん。
どれもおいしそうです。
アラカルトメニューからは
ここからも妻が頼んだアラカルトから。
ちなみに妻はお酒は飲みません。
リフレッシュメントのショコラは何とパトリック・ロジェ!!
パリのお店に行きました。
綺麗な盛り付けですね。
飲み物はお茶。
揺れにもつよいファーストクラス専用マグカップです。
アイスクリームです。
JAL特製「九州じゃんがら」ヘルシーラーメン。
肉類を使用しないうまみのあるとんこつ風ラーメンです。
紅茶と季節のフルーツ盛り合わせ。
CAさんからサプライズ
結婚周年記念で
前にも書きましたが、この旅行を企画した理由の一つが結婚周年記念でした。
CAさんと妻との会話の中で、そんな話をしたようです。
白服さんから「私たちもお祝いさせてください」と言われこんなプレートを用意して頂きました。
若い可愛らしいCAさんにも担当して頂いたのですが、旦那さんがアメリカに居て、一緒に住むので今日が最終フライトだとのこと。
そのCAさんにこちらのプレートを作って頂きました。
日本に到着
まもなく日本に到着です。
ポルトガル旅行ももう間もなく終了です。
今の時刻は日本時間で15:00前です。
11時間45分の長旅でしたが、さすがにファーストクラス、疲れは全くありません。
まだまだ乗っていたいのですが、仕方がありません。
羽田空港で乗り継いで、ダイヤモンド・プレミアラウンジで一度落ち着いて。
17:30発の伊丹行で大阪に帰ります。
明日からまたいつもの生活に戻ります。
旅のまとめです。