古事記の日本神話に魅了されて 橿原神宮に行ってきた
ようこそ日本のはじまりへ
橿原宮の宮跡
橿原神宮のHPには「ようこそ日本のはじまりへ」のコピーが書かれています。
神日本磐余彦(カムヤマトイワレビコ 後の神武天皇が九州高千穂の日向(ヒムカ)から東征を続け、畝傍山の南東の麓に大和はじめての都、橿原宮を創建したと言われています。ここ橿原は日本の歴史と文化の発祥の地ということになります。
日本書紀には畝傍山の南東の橿原後に宮を作ったと記載され、古事記には畝火之日檮(うねびのかしはら)宮と記載されています。
畝傍山の山麓周辺には天皇陵や遺跡、それらの伝承地が数多くありますが、橿原の宮跡(と言われているところ)には施設が造られた形跡は無く、畑となっていました。当時の上代の都は一代限りで遷都していたので、施設は取り払われ畑に戻したから(形跡が無い)とも言われています。
宮跡は明治時代に決定
畝傍山南東麓のこの地が橿原宮の宮跡と決定されたのは1888(明治21)年です。
幕末から明治時代にかけ、橿原宮がどこにあったのかの論争や研究があり、この地に決まったとのことです。何らかの政治的意図があったのかもしれません。
そしてこの宮跡に神宮を創建したいとの機運が高まり、明治天皇もいたく感銘を受けられ、明治政府は1889(明治22)年に神社創建を認可しました。1890(明治23)年に完成して社号は橿原神宮と決まりました。
橿原神宮がお祀りしているのは初代天皇の神武天皇と媛蹈韛五十鈴媛命(ヒメタタライイスズヒメミコト)です。
橿原神宮参拝
大鳥居
表参道の大参道がまっすぐ進む風景です。
周りを取り囲んでいる木は橿の並木です。
南手水舎です。ここで手を洗い、口を漱いで心身を清めてお参りします。
本殿
本殿を望む外拝殿です。
畝傍山を背景に両脇に長い回廊を連ねた入母屋造りの建物は昭和14年に完成されたものです。
右奥の山が畝傍山です。
外拝殿から本殿をお参りします。
境内には大きな深田池という池があります。
1940(昭和15)年には昭和天皇が橿原神宮に行幸し、秋には日本各地で紀元2600年奉祝式典が挙行されました。この年の参拝者は約1000万人に達したといいます(ウィキペディア)。当時は日中戦争が長期化して物資統制が行われていたこともあり、国民生活の閉塞感や疲弊感を払拭するために、政府主導で大規模に行われたようです。
橿原神宮の境内は50万平方メートルあり、造られたのは比較的新しいですが、規模も圧倒的な大きさで、日本のはじまりを祀っているパワースポットでした。