和歌山ラーメン 清乃(セイノ)近鉄百貨店和歌山店
日本一の和歌山ラーメンの支店
百貨店の中にあるラーメン屋さん
前回に続き、今回も和歌山ラーメンのお話です。
前回は、和歌山ラーメンの元祖と言われる井出商店について記事を書かせて頂きましたが、今回は、日本一の和歌山ラーメンのお話です。
今回お邪魔した清乃(セイノ)近鉄百貨店和歌山店は、有田市箕島にある和dining清乃さんが百貨店内に出店したお店です。
そして和dining清乃さんは食べログで5万件以上掲載されているラーメン店で日本一になった経歴のあるお店です。
そして、こちらの清乃近鉄百貨店和歌山店も、百貨店内にあるとは言っても食べログTOP5000に輝き、3.69点を獲得している名門店です。
残り一席に間に合った
日曜日、大阪駅から紀州路快速に乗って1時間半、9:52に和歌山駅に到着しました。
近鉄百貨店の開店は10:00から。
開店に間に合い、近鉄百貨店の地下に降りましたが、お店が見つからない。
もう一度1階に戻り、フロアマップを貰って探します。
あった。
お店というより、フロアの一角にあるイートインコーナーのような感じです。
カウンター8席だけで、お店の外には待ち席用の椅子が並んでいます。
ちょっと探して10:10位になりましたが、最後の1席が空いていました。
私が入った後には直ぐに次のお客さんが並んでいました。
こってり和歌山ラーメン
一番人気はこってり和歌山ラーメン
暖簾にもこってり和歌山ラーメン清乃と書かれているように、こってり和歌山ラーメンが一番人気のようです。
そしてメニューがこちらです。
ねぎマヨチャーシュー丼やしらすご飯も捨てがたかったのですが、和歌山ラーメンのはしごを予定していたので我慢です。
煮干しブラックも人気のようですが、和歌山ラーメンを食べに来たので、次回に回して今回はシンプルに、こってり和歌山ラーメンを注文しました。
着丼!!
運ばれてきたこってり和歌山ラーメンがこちら。
見るからに濃厚そうなスープ、色も豚骨ラーメンと醤油ラーメンが掛け合わされたまさに豚骨醤油色です。
香りも醤油ラーメンに寄った感じで食べる前から美味しそうです。
具は、ねぎ、チャーシュー、メンマとシンプルです。
麺はストレート麺で中細麺。
スープを飲んでみると、醤油の旨さがきっちり効いている豚骨味で、すごく深みがあって食べやすい味です。豚骨の獣臭さは全くありません。
こってり和歌山ラーメンというだけあって、スープの粘度はしっかりしていますが、見た目ほどくどくは無く、気がついて見るとスープも全部飲み干していました。
さすが日本一に輝いたことがある清乃さんのラーメン、すごく美味しかったです。
是非一度、本店にお邪魔してラーメンを食べてきたいと思います。
和歌山ラーメン 井出商店の中華そば
和歌山ラーメンって
和歌山観光協会HPによると
和歌山観光協会によれば和歌山ラーメンは3つのパターンに分類されるそうです。
一つは「醤油系」で路面電車の停車場に軒を連ねた屋台が発祥。
現在の和歌山ラーメンの主流だそう。
二つ目はコクのある「とんこつ醤油」コクのある深い味わいです。
全国的には「和歌山ラーメン」といえばこちらを差すことが多いです。
三つ目は上記の範疇にはいらない新興勢力のラーメンです。
こちらのラーメン店も増えてきているようです。
下の地図も和歌山観光協会HPからお借りした市内中心部のラーメンMAPです。
地元では中華そば
地元では和歌山ラーメンのことをあえて「和歌山ラーメン」とは呼ばず、「中華そば」と呼びます。
待っている間にゆで卵や早寿司(鯖の押し寿司)を食べる習慣もあるようです。
折角和歌山に来たので和歌山ラーメンを2軒紹介したいと思います。
今日はその内の1件、「井出商店」です。
井出商店
大行列覚悟のお店
地元の方は平日に来店するのでそんなに並ばないと聞きますが、土日は全国からお客さんが井出商店の中華そばを目指してやって来ますので行列必至です。
私がこちらのお店に訪れたのは日曜日の午後2時ごろ。
お昼を大分過ぎているので行列も少なくなっているかと期待していたのですが。
まだこの行列でした。
ここ井出商店は1998年の元旦にテレビ東京系人気番組TVチャンピオンの特番「明けましてラーメン!TV初公開!日本一うまいラーメン決定戦」で優勝したラーメン店です。20年前の番組の威力と味の実力と言ったところでしょう。
1時間並んで入店できたのは午後3時になってしまいました。
井出商店の中華そば
実は今日2軒目のラーメン店です。
(1軒目のお店は次回紹介します)
早寿司とか玉子とか色々なものを試したかったのではありますが、お腹の具合で単純な中華そば(750円)を注文しました。
こちらのお店はアルコールの提供は有りません。
・・・歩き回っていたのでビールが欲しかったのですが。
お待ちかねのラーメンはこちらです。
まさにイメージ通りの和歌山ラーメン。
スープは見た目よりさっぱりしていてくどく無く、どちらかというと懐かしいラーメンという感じです。
麺は普通のストレート麺です。
斬新なこったラーメンというよりはいつも食べている美味しいラーメンでした。
大変美味しくいただきました。
御馳走さまでした。
最後にお店を出てお店の正面から写真を1枚。
こんな感じの店でした。
明日香村探訪その3 石舞台に行ってきた
石舞台古墳まで
土佐街道
大和平野と吉野の街の文化の交流地点として人々が行きかったところです。
今でも江戸時代の街並みが残っています。
そしてここ土佐街道のある高取町は江戸時代から薬の行商が広まったくすり町だそうです。毎年一定のくすりを得意先に預け、次回に利用した分だけを集金する方法です。
年1回か2回、決まった時期に柳ごおりを担いで、全国各地の家庭を訪問していきました。
奈良交通バスで
橿原神宮駅東口からは奈良交通のバスで石舞台古墳に向かいます。
バスは1時間に2本程度。
バスに乗って20分程度で石舞台古墳に到着します。
石舞台古墳に来たのは高校時代の修学旅行以来数十年振りです。
当時は歴史にはあまり興味が無かったので、なんでこんなところに連れてこられるのだろうと思っていましたが。
明日香村探訪の最終目的地「石舞台」
石舞台古墳とは
明日香村探訪で、高松塚古墳、キトラ古墳を訪ねて、最終目的地はここ石舞台古墳です。高松塚古墳、キトラ古墳は円墳の古墳でしたが、ここ石舞台古墳は古くから墳丘の封土を失い、石室の天井石を露出させていたようです。
天井石の上面が広く平らでまるで舞台のように見えることから石舞台と呼ばれています。
30数個の石の総重量は約2,300トン。特に天井石の重量は約77トンだそうです。どうやってこんな重い石を積むことが出来たのでしょうか。
築造は7世紀ごろと言われています。
当時の土木技術の高さが窺い知れます。
誰が埋葬されていたのか
被葬者は判明していませんが、わが国最大級の方墳で堀や外堀が存在することから、相当な権力者であったと考えられています。
一説によると大化の改新で滅ぼされた蘇我入鹿の祖父である蘇我馬子の墓ではないかと言われています。
また、別の説によると、天武天皇を仮に葬り祀った場所とも言われているようです。
秋の1日、明日香村を探訪して高松塚古墳、キトラ古墳、石舞台古墳を訪ねてみました。日本の始まりに触れて、すがすがしい気持ちで大阪に帰ります。
お読みいただきましてありがとうございました。
明日香村探訪その2 キトラ古墳に行ってきた
キトラ古墳訪問
キトラ古墳とは
キトラ古墳は高松塚古墳から徒歩で20分の阿部山の中腹の国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区にあります。
二段築成の円墳で上段が直径9.4m、下段が直径13.8m、高さは4m程度です。
高松塚古墳よりは一回り小さな古墳です。
7世紀末~8世紀初に作られたと言われ、古墳時代の末期の古墳です。古墳時代前期の巨大な円方後円墳から円墳へと形が変わり、規模も小さくなりました。
下はキトラ古墳壁画体験館四神の館に展示されている古墳のサイズの説明ですが、右の小さな丸がキトラ古墳で左の円方後円墳が大仙古墳(仁徳天皇陵)です。如何に小さくなったかが良くわかります。
キトラ古墳の名前のいわれ
キトラとはあまり聞かない名前です。
そのキトラの名前の由来には、色々な説があります。
中を覗くと亀と虎の壁画があったことあら「亀虎古墳」と言われたという説。
古墳の南側の地名、小字北浦がキトラになったという説。
明日香村阿部山集落の北西の方角にあったから、北を司る亀と西を司る虎で「亀虎」となったという説。
だそうです。
キトラ古墳の壁画
発見の経緯
高松塚古墳が発見された後に、付近の住民から「近くに似たような古墳がある」との情報が入り、これがキトラ古墳の発見のきっかけになったそうです。
1983(昭和58)年にファイバースコープの調査で玄武と思われる壁画が発見されました。
2003(平成15)年に文化庁が調査を開始したところ、壁画はそのままにしておくと、極端にもろく崩れてしまうことが分かり、本格的な取り外しを行いました。
こちらは四神の館に展示されている石室のレプリカです。
壁画は年に何回か予約制で限定で公開されているようですが今は公開していません。
パンフレットから。
東西南北の壁面の中央に青龍、白虎、朱雀、玄武が描かれています。
国営飛鳥歴史公園のホームページより。
青龍。
白虎。
朱雀。
玄武。
そして天井には天文図が描かれています、
この時代の中国や朝鮮半島では、獣頭人身像が描かれている墓が発見されていることから、キトラ古墳は中国や朝鮮半島の影響を受けていると考えられています。
そして、こちらの壁画は2019(令和1)年に国宝に指定されました。
被葬者は
誰が祀られているかは、高松塚古墳同様わかっていません。
一方、高松塚古墳と比べて規模が小さいことや、色遣いが派手でないことから、皇子ではなく、臣下ではないかとも言われているようです。
そして壁画を取り出すために掘り起こされたキトラ古墳ですが、今は埋め戻されて復元されています。
次回も明日香村を散策します。
明日香村探訪その1 高松塚古墳に行ってきた
高松塚古墳訪問
高松塚古墳とは
藤原京期(694~710年)に築造された直径23m、高さ5mの2段式の円墳です。1962(昭和37)年頃、村人が生姜を貯蔵しようとして直径60cmの穴を掘ったところ、四角い切り石にぶつかったことが発見のきっかけになったそうです。
近鉄吉野線の飛鳥駅から徒歩15分、近くにはレンタサイクルもあり、自転車で回るのも良いでしょう。気候も良くなってきましたので徒歩で行ってきました。
1972年に極彩色の壁画が発見され、当時は歴史上の大発見として新聞のトップニュースにもなり、大ブームになったようです。
鎌倉時代に盗掘を受けたようですが、壁画は無事に残り、盗掘を免れた副葬品もこの時に発見されました。
飛鳥美人
下の写真は壁画のレプリカです。
高松塚壁画館で見ることが出来ます。
この下の写真は西壁の女子4人群像で「飛鳥美人」と呼ばれ、歴史の教科書などでもカラー写真で紹介されています。
古墳の壁画発掘以来、壁画は現状のまま現地で保存されることとなり、文化庁が温度や湿度管理、防カビなどの保存管理、年1回の定期点検を行っていました。
しかし2002(平成14)年から2005(平成15)年にかけて撮影された写真を調べた結果、雨の侵入やカビの発生で壁画の変色や退色が顕著であることが分かりました。
現在、石室は全室解体し、修理施設へ搬出して10年かけて保存修理が行われています。完成後は元の古墳へ戻されることになっているようです。
古墳はこんもりとした築山の様。
人工的な山ですが、古墳と言われなければわからないですね。
被葬者は誰
天武天皇の皇子説
立派な壁画や副葬品から見るとそれなりに位の高かった人が祀られている古墳であることは間違いないです。
天武天皇の皇子が祀られているという説が有力です。
忍壁皇子、高市皇子、弓削皇子のいずれかではないかと言われていました。
ただ、出土した被葬者の歯や骨から40代から60代の人物と言われ、20代で亡くなった弓削皇子の可能性は低いと言われているようです。
高松塚古墳の隣にある文武天皇陵
高松塚古墳の隣には文武天皇檜隈安古岡上陵(もんむてんんおうひのくまのあこのおかのえのみひさぎ)があります。
文武天皇は第42代天皇で697年から707年までの飛鳥時代の天皇でした。
当時としては異例の14歳の若さで天皇に即位し、祖母持統上皇のもとで政務を行ってきたそうです。
そして第40代天武天皇の妻が第41代持統天皇(文武天皇の祖母)で、天武天皇の子供たちは天皇にはなっていません。
文武天皇陵の隣に天武天皇の皇子のお墓(高松塚古墳?)があったと考えても不思議ではありません。
その他の説
そもそも明日香地域の古墳群で被葬者が特定されているものは殆どありません。
天皇の臣下ではないかという説があります。
また朝鮮半島系王族説もあります。
これだけの壁画に囲まれて眠っている人物は誰なのか。
今となっては誰も知る由が無い歴史の謎となっています。
秋の明日香村、のどかな景色の中歴史を巡る探訪記はまだ続きます。
羽田空港 天鳳で天鳳麺を食べてきた
天鳳空港店
発祥は羽田税関職員食堂
東京に出張した際、美味しいラーメン店を探そうとしたのですが、外は結構な雨。
東京の街を歩き回る気に有らず、お昼は羽田空港内で済ますことに。
実は前々から気になっていたのが、羽田空港第一ターミナルの地下の一番端にお店を構えている天鳳というラーメンのお店。食べログなどのグルメサイトでも結構な高評価を上げているお店です。
調べてみると、発祥は羽田税関職員食堂として昭和36年に創業した株式会社稲穂という会社が直営するお店のようです。平成5年に羽田空港沖合へ拡大した時に天鳳をオープンしたそうです。
空港職員と出張サラリーマンで大混雑のお店
羽田空港内の官庁職員食堂を運営していた経緯からなのか、羽田空港の職員が結構利用しているようです。また、常連のサラリーマンも多いようで、往訪した際(日曜日12時頃)は5~6人待ちの行列が出来ていました。
店舗は空港内のレストランというお洒落感は全くなく、昔ながらの中華屋さんという感じです。それでも入れ替わりの激しい空港内の食堂で、25年以上続けてきた老舗のお店、人気の程がわかります。
カウンター8席と2人掛けテーブルが5卓、7人掛けテーブルが1つの25席のお店。
羽田空港第一ターミナル内にありながらJALカードは使えないようです(笑)。
お奨めは天鳳麺
野菜味噌あんかけ麺
1番人気は醤油ベースのスープに野菜味噌あんかけを絡めた天鳳麺だそうです。
半チャーハン付も選べます。
天鳳麺、半チャーハン付のAセットは1,100円。
お奨めということでこちらを選びます。
先ずは、お決まりのビールでラーメンが来るまで喉を潤します。
お通し付です。ドリンクセットは400円。
お待ちかねの天鳳麺。
野菜たっぷりの丼に、ウズラの卵がかわいく1個。
スープは濃いように見えてもすすってみるとそんなに濃くも無く、美味しい醤油味。
想像通りのお味です。
野菜の旨味が優しいです。
麺は中太ストレート麺。スープに良く合います。
そして半チャーハンはやや薄味のぱらぱらしたチャーハンです。
空港食堂
奇をてらったところのない空港食堂という感じでした。
普通に美味しくて、飽きのこない、いつでも行きたいお店。
だから空港職員が訪れ、一般のサラリーマンが常連客となるのでしょう。
長く続く老舗のラーメン店。
なんか沖縄那覇の空港食堂を思いだしてしまいました(笑)。
下の写真2枚は那覇の空港食堂です。
また羽田空港に寄った際は天鳳空港店に行ってみたいと思います。
再訪有のお店でした。
フランスパリの治安 観光客目線で考えてみる
パリの治安悪化の歴史的背景
移民労働者の増加
ポルトガルの町を歩いていると、欧米人ばかりで、黒人やアラブ系、我々黄色人種であるアジア人にはあまりお目にかかりません。ところが、フランスパリの街を歩いていると、黒人やアジア人に良く会います。
長い歴史がそうさせてきたようです。
18世紀後半から出生率が低下したフランスは、不足する労働力を外国人労働者で補って来ました。2回にわたる世界大戦や30年間の栄光と呼ばれた好景気時代には、労働需要は高まる一方でした。1945年に国は移民局を設け、国家主導で海外から労働者をかき集めていったのです。
最初の頃は、スペインやポルトガルといったヨーロッパ国内からの移民が多かったのですが、徐々にマグレブ諸国からの移民を多く受入れるようになったのでした。マグレブ諸国とはモロッコ、アルジェリア、チュニジア等の北サハラの北部アフリカのことで、元々はフランスの植民地でした。これらの国々が不景気で労働力をもてあましていたという理由と、フランス語の言語的問題が少ないこと、地理的に近いことがマグレブ諸国からの移民を多く受入れた理由だったようです。
2015年には移民1世は750万人(人口比11%)、また2世(片親又は両親が移民)は約850万人と推計されて、1、2世を合わせると1,600万人と人口の24%を占めるまでに至っています。
フランスは出生率が2.0近く(2016年1.88)あり、先進国では出生率が回復した国として知られていますが、移民や外国人の出生率が高いことが理由のようです。移民以外(所謂フランス人)の出生率は1.65に対して移民の女性の出生率は2.5外国人国籍の女性の出生率は3.29ではないかとまことしやかに言われています。(フランスは憲法で国民は出自、人種、宗教の違いにかかわらず、法の元の平等が保障されていますので、国としての移民(外国籍)の出生率の統計は有りません。)
また、国籍法では出生地主義を採用していることから、外国人国籍の女性がフランス国内で出生すれば、子供は18歳になった時点でフランス人になります。こうしたことから、フランス人に占める移民(1世、2世)の割合はどんどんと増えてしまった(これからも増え続けていく?)のです。
景気後退と失業率の増加
一方で、80年代以降のフランスの景気後退により、移民たちが担ってきた単純な労働は失われていきました。
1990年代になるとマグレブ諸国出身者の失業は40%を超えるようになっていったようです。移民の失業問題や貧富の差は激しくなり、移民の30%は貧困層とも言われています。
もともとは移民は短期で帰国されることが想定されていたことから、仮設の住宅に住んでいましたが、滞在が長期化してくると仮設住宅がスラム化していきました。また、自国に居る移民の家族を呼んで暮らす場所も必要になってきました。
そこで1970年代以降、大都市郊外に建設されたHLMと呼ばれる中・低所得向けの公共住宅に多くの移民が居住するようになっていきました。そして、先のように80年代の景気低迷による失業者の増大や貧困層の増加によりこうした公共住宅は荒廃していきます。
パリ市内で言うと北東部の18区、19区、20区の環状道路沿いの高層団地群や北部郊外のサン=ドニがこれに該当します。貧困と、貧富の差による犯罪の多発、こうしたことでパリの北東部の治安は悪化していきました。出身国間のコミュニティが出来、コミュニティ同士の暴力事件も増えていきました。また、背景には移民たちの被差別意識の高まりもあったのかもしれません。
2015年のパリ同時多発テロの犯人もサン=ドニ出身者でした。
観光地としてのパリ
世界一の観光客が訪れる町
2018年にフランスを訪れた外国人観光客数は約9,000万人と過去最高を更新しました。世界一観光客が訪れる国となっています。訪日外国人の2018年の実績は3,119万人であったことを比べると、日本の約3倍の来客数で、実力のほどが伺えます。
パリはヨーロッパ一治安が悪いとも言われていますが、治安もテロも、また黄色いベスト運動のデモ行進も観光客の来訪には関係が無かったということになるのでしょうか。一方、本当に観光することが危険な国(都市)であれば世界中からこんなに多くの観光客は来ないということも言えるでしょう。
ちなみに観光客がフランス国内に落としたお金は562億ユーロ、約7兆円だそうです。幸いながらパリの観光地はセーヌ川を挟んだ中心地に多く、治安が悪いとされる市内北東部や北部郊外を訪れることは少ないでしょう。例外は、モンマルトルの丘にあるサクレ・クール寺院が18区にあることとサン=ドニ大聖堂やスタッド・ド・フランス(ワールドカップ決勝が行なわれたスタジアム)がサン=ドニ県にあることくらいでしょうか。
下の写真は治安が悪いと言われるモンマルトルの丘とサクレ・クール寺院ですが、日中歩く分には問題はありません。
観光客が注意すべき点
では、我々観光客はパリを観光する際にどのようなことに気をつければよいのでしょうか。
先ずはスリです。観光客が集まるところにスリが多く集まってくるのは世の常です。地下鉄などの乗り物に乗るときに、日本人は扉の脇に立つことが好きですが、ここはスリにとって一番の狙いどころだそうです。扉の閉まる間際に物を取って外に逃げれば追いかけることは出来ません。従って乗り物に乗るときは、鞄を前に持って、車内の奥に進むことが大事です。
またエッフェル等周辺やルーブル美術館周辺では署名活動に見せかけたスリが横行しているようです。慈善活動をしているので署名をお願いしますと言われ、証明をしている隙に鞄を空けられ物が取られるというものです。見ず知らずの日本人に声がかかることはまずありえません。声をかけられても無視をするに越したことはありません。
目の前で小銭を落とされ、気を取られている隙に鞄から者を取られるパターンも有ります。スリは複数名で役割分担を決めて、狙った獲物を捕らえます。(かく言う私も、昔マドリードの満員の地下鉄で大人数に囲まれ財布をすられたことが有ります。)狙った獲物にならないように、鞄は前に抱え、周りを注意深く気にし、隙を見せなければ、それだけでスリに遭う可能性を低くすることは出来ると思います。
また、フランスはカード社会ですので現金は小銭程度しか持ち歩かず、支払いはクレジットカードを利用すればよいでしょう。仮に被害にあったとしても小銭程度しか持っていなければダメージは小さくて済みます。
エッフェル塔周辺や、モンマルトルの丘周辺には路上に物売りも数多くいますが、安くは無く、トラブルに巻き込まれますので、早々と立ち去りましょう。ミサンガ(腕飾り)を勝手に巻きつけられて高い値段を請求するトラブルも発生しているようです。
以上、充分に注意してさえいれば、世界一観光客が訪れる町ですから、そんなに怖い思いをすることは無いと思います。観光客目線でパリの治安を考えてみました。