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明日香村探訪その2 キトラ古墳に行ってきた

キトラ古墳訪問

キトラ古墳とは

キトラ古墳高松塚古墳から徒歩で20分の阿部山の中腹の国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区にあります。

 

二段築成の円墳で上段が直径9.4m、下段が直径13.8m、高さは4m程度です。

高松塚古墳よりは一回り小さな古墳です。

 

7世紀末~8世紀初に作られたと言われ、古墳時代の末期の古墳です。古墳時代前期の巨大な円方後円墳から円墳へと形が変わり、規模も小さくなりました。

 

下はキトラ古墳壁画体験館四神の館に展示されている古墳のサイズの説明ですが、右の小さな丸がキトラ古墳で左の円方後円墳が大仙古墳(仁徳天皇陵)です。如何に小さくなったかが良くわかります。

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キトラ古墳の名前のいわれ

キトラとはあまり聞かない名前です。

そのキトラの名前の由来には、色々な説があります。

 

中を覗くと亀と虎の壁画があったことあら「亀虎古墳」と言われたという説。

古墳の南側の地名、小字北浦がキトラになったという説。

明日香村阿部山集落の北西の方角にあったから、北を司る亀と西を司る虎で「亀虎」となったという説。

 

だそうです。

キトラ古墳の壁画

発見の経緯

高松塚古墳が発見された後に、付近の住民から「近くに似たような古墳がある」との情報が入り、これがキトラ古墳の発見のきっかけになったそうです。

1983(昭和58)年にファイバースコープの調査で玄武と思われる壁画が発見されました。

 

2003(平成15)年に文化庁が調査を開始したところ、壁画はそのままにしておくと、極端にもろく崩れてしまうことが分かり、本格的な取り外しを行いました。

 

こちらは四神の館に展示されている石室のレプリカです。

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壁画は年に何回か予約制で限定で公開されているようですが今は公開していません。

パンフレットから。

東西南北の壁面の中央に青龍、白虎、朱雀、玄武が描かれています。

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国営飛鳥歴史公園のホームページより。

青龍。

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白虎。

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朱雀。

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玄武。

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そして天井には天文図が描かれています、

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この時代の中国や朝鮮半島では、獣頭人身像が描かれている墓が発見されていることから、キトラ古墳は中国や朝鮮半島の影響を受けていると考えられています。

 

そして、こちらの壁画は2019(令和1)年に国宝に指定されました。

被葬者は 

誰が祀られているかは、高松塚古墳同様わかっていません。

高松塚古墳同様、天武天皇の皇子ではないかと言われています。

 

一方、高松塚古墳と比べて規模が小さいことや、色遣いが派手でないことから、皇子ではなく、臣下ではないかとも言われているようです。

 

そして壁画を取り出すために掘り起こされたキトラ古墳ですが、今は埋め戻されて復元されています。

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次回も明日香村を散策します。