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明日香村探訪その1 高松塚古墳に行ってきた

高松塚古墳訪問

高松塚古墳とは

高松塚古墳は国営飛鳥歴史公園高松塚周辺地区にある古墳です。

 

藤原京期(694~710年)に築造された直径23m、高さ5mの2段式の円墳です。1962(昭和37)年頃、村人が生姜を貯蔵しようとして直径60cmの穴を掘ったところ、四角い切り石にぶつかったことが発見のきっかけになったそうです。

 

近鉄吉野線の飛鳥駅から徒歩15分、近くにはレンタサイクルもあり、自転車で回るのも良いでしょう。気候も良くなってきましたので徒歩で行ってきました。

 

1972年に極彩色の壁画が発見され、当時は歴史上の大発見として新聞のトップニュースにもなり、大ブームになったようです。

 

鎌倉時代に盗掘を受けたようですが、壁画は無事に残り、盗掘を免れた副葬品もこの時に発見されました。

飛鳥美人

下の写真は壁画のレプリカです。

高松塚壁画館で見ることが出来ます。

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この下の写真は西壁の女子4人群像で「飛鳥美人」と呼ばれ、歴史の教科書などでもカラー写真で紹介されています。

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古墳の壁画発掘以来、壁画は現状のまま現地で保存されることとなり、文化庁が温度や湿度管理、防カビなどの保存管理、年1回の定期点検を行っていました。

しかし2002(平成14)年から2005(平成15)年にかけて撮影された写真を調べた結果、雨の侵入やカビの発生で壁画の変色や退色が顕著であることが分かりました。

 

現在、石室は全室解体し、修理施設へ搬出して10年かけて保存修理が行われています。完成後は元の古墳へ戻されることになっているようです。

 

古墳はこんもりとした築山の様。

人工的な山ですが、古墳と言われなければわからないですね。

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被葬者は誰

天武天皇の皇子説

立派な壁画や副葬品から見るとそれなりに位の高かった人が祀られている古墳であることは間違いないです。

天武天皇の皇子が祀られているという説が有力です。

忍壁皇子高市皇子弓削皇子のいずれかではないかと言われていました。

ただ、出土した被葬者の歯や骨から40代から60代の人物と言われ、20代で亡くなった弓削皇子の可能性は低いと言われているようです。

高松塚古墳の隣にある文武天皇

高松塚古墳の隣には文武天皇檜隈安古岡上陵(もんむてんんおうひのくまのあこのおかのえのみひさぎ)があります。

 

文武天皇は第42代天皇で697年から707年までの飛鳥時代天皇でした。

当時としては異例の14歳の若さで天皇に即位し、祖母持統上皇のもとで政務を行ってきたそうです。

 

そして第40代天武天皇の妻が第41代持統天皇文武天皇の祖母)で、天武天皇の子供たちは天皇にはなっていません。

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文武天皇陵の隣に天武天皇の皇子のお墓(高松塚古墳?)があったと考えても不思議ではありません。

その他の説

そもそも明日香地域の古墳群で被葬者が特定されているものは殆どありません。

 

天皇の臣下ではないかという説があります。

また朝鮮半島系王族説もあります。

 

これだけの壁画に囲まれて眠っている人物は誰なのか。

今となっては誰も知る由が無い歴史の謎となっています。

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秋の明日香村、のどかな景色の中歴史を巡る探訪記はまだ続きます。