空へ!!

旅行やマイルの話を中心に、たまにグルメやラーメンの話など気ままなことを好きなように書いている大阪発信のブログです。

羽田空港のおもしろ自動販売機

全国のインスタントラーメン販売機

ラーメン専門店やかん亭

東京出張の羽田空港でこんなものを見つけました。

第1ターミナル搭乗口前にある

日本全国インスタントラーメン大集合!!

 

この自動販売機は大阪市浪速区日本橋にある

「株式会社やかん亭」という会社が企画しています。

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インスタントラーメンやかん亭さくら総本店では、

日本全国のご当地インスタントラーメンを

何と300種類以上も扱っているそうです。

自動販売機の中身は

1番の北海道ZOMRAMEN480円は、

ゾンビ味のラーメンだそう。

パックを開けると青い乾麺が登場するそうです。

 

2番の毛がに北海道ラーメン300円。

オホーツク産の毛がにを練り込んだ麺。

味は味噌味だそうです。

 

3番は北海道利尻島利尻昆布ラーメン300円。

利尻漁業協同組合が作っています。

麺にとろろ昆布を乗せて食べるんだそうです。

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4番は大阪マヨラーメン350円。

とんこつマヨネーズ味。

どんな味なんだろう。

 

6番は秋田県北斎昆布しょうゆ290円。

秋田県男鹿市の株式会社八郎めんという会社が作っています。

立体ジオラマカードのおまけ付。

 

7番から9番は羽田土産のエアポート羽田空港ラーメン。

江戸前醤油味は250円。

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10番は愛知県山本製粉のポンポコ焼そば150円

50年以上の歴史を持つ変わらない味だそうです。

即席焼きそばです。

 

11番は愛知県にゃーん麺猫好き用ラーメン260円。

ご当地ラーメンの小笠原製粉

フェリシモのコラボラーメンなんだとか。

 

12番は瀬戸内塩レモンラーメン250円。

レモンの旨味の利いた鶏出汁のラーメンです。

 

13番は言わずと知れた富山県富山ブラック

メジャーなメーカー寿がきやが作るラーメンです。

 

14番は広島県CARPプロ野球ラーメン260円。

キリマルラーメンの小笠原製粉広島東洋カープとの

コラボ商品です。

 

15番は秋田県比内地鶏白湯ラーメン味噌味280円。

UMAMYというブランドのノリット・ジャポンという

会社がつくったラーメンです。

味噌味以外にも塩味、醤油味があります。

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りんごの自動販売

MVM商事という神戸の会社

りんごの自動販売機も羽田空港第1ターミナル搭乗口前に

設置されています。

 

私は全く知らなかったのですが、

羽田空港以外にも東京メトロ都営地下鉄の駅

関西空港伊丹空港、JR新大阪駅

阪急梅田や近鉄難波駅などにも置かれているようです。

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この自動販売機は、神戸にあるエム・ヴィ・エム商事という

会社が業界初の試みとして自動販売機を置いています。

 

国内でのりんごの消費量は徐々に減っており、

家庭でリンゴを食べない人も増えていることから、

りんごを食べる新しい機会を提供していきたいと

開発したそうです。

自動販売機の中身は

青森産リンゴをカットして小袋に入れたものです。

下の写真はHPよりお借りしました。

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青森県産サンふじ皮なしカットりんごは200円です。

とろ~りはちみつ&生リンゴは240円。
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おやつ熟柿(半生干し柿)2切れ入りは350円。

韓国産だそうです。

 

その下の段は食べきりおいも、焼き芋です。

お値段350円です。

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2種類の面白自動販売機を紹介しました。

 

羽田空港も夕暮れです。

これから大阪に帰ります。

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ふるさと納税で確定申告

ワンストップ特例制度

確定申告不要

ふるさと納税は寄付金税額控除を利用した税額控除で

ワンストップ特例制度を利用すれば

確定申告を行う必要がありません。

 

ワンストップ納税を利用する条件は、

元々確定申告を利用する必要が無い給与所得者であり

1年間の寄付先が5自治体以内であり

申込みの度に自治体に申請していることです。

 

ワンストッップ特例制度を利用すると、

控除は全額住民税から控除されることになります。

今年は確定申告が必要に

昨年まではワンストップ特例制度を利用していました。

旅行券などの大型案件があったので、

一つの自治体に10万円単位のふるさと納税

行っていました。

その為、寄付先は5自治体以下に収まっていました。

 

昨年6月以降、総務省ふるさと納税を厳格化して、

原則金券類はダメになり、

返礼品は寄付額の3割以下の

地場産品限定の商品に限定されてしまいました。

 

高額案件が無かった昨年のふるさと納税

小口に振り分けて、大盤振る舞いして、

 

岐阜県養老町飛騨牛

 

山形県中山町の桃

 

北海道稚内市のかに

 

和歌山県みなべ町の梅干し

 

和歌山県湯浅町のみかん

 

北海道千歳市のビール(麒麟ビール工場製)

 

北海道白糠町のいくら

 

和歌山県有田市の鰻

 

福岡県川崎町のシフォンケーキ

 

と9つの自治体に寄付を行って

確定申告が必要となってしまいました。

 確定申告をする

国税庁ホームページから

確定申告の作成は、

国税庁のホームページで行うことが出来ます。

www.nta.go.jp

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このページの個人の確定申告書等を作成するの中の

確定申告書等の作成はこちらを押すと

確定申告書の作成画面が出てきます。

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確定申告は、

e-Taxで提出 マイナンバー方式

e-Taxで提出 ID・パスワード方式

印刷して提出から選べますが、

私は印刷して提出を選びました。

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給与・年金の方作成開始を選択し、

源泉徴収票

自治体から送られてきた寄付金受容証明書を用意すれば

簡単に作成することが出来ます。

画面に出てくる入力画面に必要な項目を入力するだけです。

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源泉徴収票の必要な項目を入力すると

次に寄付金控除を入力する画面が出てきますので

寄付の年月日、寄付金等を入力します。

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都道府県、市町村に対する寄付金(ふるさと納税など)

を選択すれば、

リストボックスから市町村名を選択すれば

寄付先の住所と名称が自動的に表示されるので簡単です。

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確定申告書はPDFで出来上がり

全ての入力が終わると

PDFで確定申告書が作成されます。

 

出来た確定申告書と

後はマイナンバーがわかる書類と

運転免許証等の本人確認書類、

寄付金受領証明書を提出すれば確定申告は終了です。

 

郵送でも税務署に持ち込みでもOKです。

期限は3月16日月曜日までです。

期限に遅れないように提出してきます。

果たしてバンコク旅行に行けるのでしょうか

新型コロナウイルス蔓延で

タイ入国は規制強化

3月にタイ・バンコク旅行を計画しています。

しかし、世の中は新型コロナ肺炎一色です。

タイ政府は日本での新型コロナウイルスの感染拡大を受け

検疫強化を打ち出しています。

 

2月17日にタイ保健省は、

国内での感染例が増加している

新型コロナウィルス(COVID-19)に関し、

従来の中国、香港、マカオ、台湾に加えて、

日本、シンガポールからの渡航者及び過去14日以内に

これらの地域に滞在した渡航者に対して、

空港でスクリーニングの対象とすることを決定しました。

 

具体的には、体温が37.5度以上あり、

かつ、咳、鼻水、のどの痛み、頻呼吸、呼吸困難の

いずれかを伴う症状がある方は、

タイ国内の病院においてウイルスの

検査を受けることになるようです。

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その後も国内での感染の拡大は続いており、

撤回はされたようですが、

イスラエル保健省は22日夕、

新型コロナウイルスの感染拡大を受け、

日本と韓国から

イスラエルを訪れる外国人の入国を認めないと

発表していました。

日本への渡航も自粛要請

また、新型コロナウイルスの感染拡大にともない、

タイの保健省は自国民に対し、

日本とシンガポールへの渡航を控えるよう要請しました。

アメリカ、台湾、韓国等も、日本への渡航

注意喚起を行っているようです。

 

ふるさと納税でもらったHISの旅行券で予約した

ハイアット・リージェンシー・バンコクスクンビット

キャンセル可能期間は過ぎています。

itmbase.hatenablog.jp

果たして旅行はどうなるの

 JALの航空券のキャンセル可能地域は

中国、香港、台湾のみです。

ここ暫くは事態が流動化する可能性もあるようで

この旅行が可能かどうかは心配です。

 

先ずは自らがコロナウイルスに感染してしまっては

タイに入国させていただけないようですし、

もちろん他人に感染させてしまうようなことが

有ってはいけません。

体力を温存し、病気にならないように気を付けて

事態の推移を見守るしかないよですが、

果たしてバンコク旅行に行けるのでしょうか。

 

トヨタ産業技術記念館 トヨタグループ館

旧豊田紡績(株)本社事務所

トヨタグループの発祥の地

トヨタ産業技術記念館の敷地の中に

トヨタグループ館の建物があります。

この建物は、1925(大正14)年に建設された

豊田紡績本社事務所を

建設当時の状態に修復したものです。

 

ここで豊田自動織機製作所(現豊田自動織機)や

トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)の

設立総会などが開催されたそうです。

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そしてここトヨタ産業技術記念館があるこの地は、

911(明治44)年に豊田佐吉氏が発明の本拠地の

豊田自動織布工場を設立し、後に豊田紡績本社となった

トヨタグループの発祥の地になっています。

豊田佐吉氏のゆかりの品

ここトヨタグループ館は1階が開放されていて、

豊田佐吉氏のゆかりの品が展示されています。

 

これは豊田式糸繰返機と言われるもので

一度に多数の枠取りが出来るようになって

作業性が効率化した機械だそうです。

1894年に作られたものの複製です。

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これは天野製作所(現アマノ株式会社)製の

タイムレコーダーです。

同社製としては現存している最古のもので

1943(昭和18)年頃のものだそうです。

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その他にもトヨタグループ各社が制作した

自動車の部品関連が展示されていました。

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豊田商会事務所

豊田佐吉氏の住居

豊田商会は豊田佐吉氏が究極の目的とした

自動織機と環状織機を発明、研究するために

1902(明治35)年に設立しました。

 

この建物は、1905(明治38)年に

名古屋市島崎町(現名古屋市中村区名駅)に建てられた

豊田佐吉氏の住居であり研究室だったものだそうです。

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産業技術記念館設立の際に移転修復したものです。

トヨタ産業技術記念館を訪ねてみて

今回初めてトヨタ産業技術記念館を訪ねてみました。

自動織機に始まり、繊維事業を立ち上げ、

繊維事業を発展させて自動車事業に取り組んでいく、

まさに日本の工業の発展しが手に取るようでした。

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自動車事業の立ち上げに苦労した歴史や、

自動車の歴史についても興味深く見ることが出来ました。

 

そして何より楽しかったのは

トヨタ自動車の昔からの名車の実物に出会えたことです。

 

今回は出張の合間に立ち寄ったこともあり、

駆け足の見学となってしまいましたが、

機械があればまたゆっくり見学してみたいと思います。

 

トヨタ産業技術記念館の紹介は今回が最後になります。

長い間お付き合い頂き有難うございました。

トヨタ産業技術記念館 歴代の名車たち2

トヨタ産業技術記念館展示車両から

セリカ

1970年から2006年まで7代にわたって作られた

ハードトップ及びクーペ型の自動車です。

下の写真は初代のセリカクーペ1600GTで

当時は人気の車種だったようです。

 

その後作られた歴代のセリカ

モータースポーツのベースの車として

数々のレースで好成績を収めました。

 

名前のいわれは、

スペイン語で「天空の」「神の」「天国のような」

という意味だそうです。

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ターセル

ターセルトヨタ自動車発の前輪駆動車(FF)で

1978年に登場しました。

1978年から1999年まで

5代にわたって作られました。

 

下の写真は1980年製の北米仕様車です。

安価で車体の割に室内が広いと

北米を中心に海外で人気が出た車です。

 

ターセルとは、英語でハヤブサの意味です。

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カムリ

前輪駆動の高級セダンとして1980年に登場しました。

現在もカムリは大人気車種で、現在10代目です。

 

世界戦略車の位置づけで、特に北米の主力車種であり、

車体は国内の高級車クラウンより大きくなっています。

 

下の写真は1982年製で

カムリとしてはセリカカムリ時代から2代目、

セリカの名前が外れたカムリとしては初代です。

 

名前のいわれは、日本語の「冠(カンムリ)」

から取った造語だそうです。

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レクサスSC(SC430)

トヨタは高級ブランドとして、

北米では1989年から

日本では2005年から展開を開始しました。

 

トヨタソアラの4代目モデルとして

販売されていましたが、

レクサス展開と同時にレクサスSCとしてデビュー。

コンバーチブル仕様のオープンカーです。

 

エンジンはV型8気筒DOHC

総排気量は4292CCです。

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セルシオ

1989年に北米市場をターゲットに

セルシオブランドを立ち上げましたが、

その最上車種としてLSが登場しました。

 

一方、日本国内では、一部仕様を変更して

セルシオとしてトヨタブランドで販売されました。

 

下の写真は1989年に登場した

初代セルシオです。

 

セルシオは、2006年にセルシオ3代目の

後継車がレクサスLSとして販売され

トヨタブランドのセルシオの販売は終了しました。

 

レクサスの名前は、ラテン語で「至上、最高」

という意味のセルサスをもとに作った造語です。

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プリウス

プリウスは世界初の量産ハイブリッドカーです。

1997年に登場しました。

初代のプリウスは小型車で5ナンバーでしたが、

2代目以降3ナンバーと大型化しました。

 

最新の4代目の走行燃費は

何と40km/L超えです。

 

初代は年間販売台数も2万台程度でしたが、

2代目が発売され爆発的な人気を博しました。

 

プリウスは、ラテン語で「~に先駆けて」

という意味だそうです。

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レクサスLFA

レクサスLFAは2010年12月から2012年12月の

2年間に500台限定で造られたスーパーカーです。

 

エンジンはV型10気筒DOHCで

総排気量は4805CCです。

そして最高時速は320km/h以上と

アナウンスされていました。

 

販売価格は1台3,750万円と

国内で販売される新車価格で過去最高額となりましたが、

大人気で販売予定台数の数倍の予約申し込みが

あったようです。

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MIRAI

MIRAIは量産車としては世界初の

セダン型燃料電池自動車です。

燃料電池には水素を高圧力で圧縮して

タンクに充てんしています。

所謂水素自動車です。

 

2014年12月に発売が開始されました。

販売価格は727万円。

社名はもちろん日本語の「未来」から。

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こうして見てみると技術の進化とか、

デザインの移り変わりとかが良くわかります。

 

トヨタ産業技術記念館 歴代の名車たちその1

トヨタ産業技術記念館展示車両から

コロナ

初代コロナは1957年に登場しました。

下の写真は3代目コロナで1964年に登場しました。

総排気量は1490CCです。

ダットサン(日産)ブルーバードとの熾烈な販売競争で

勝ち抜き国内販売台数1位を獲得した車です。

 

真赤に燃える太陽、そのまわりの淡い真珠色の光。

太陽の冠という意味で

明るく親しみのもてるファミリー・カーにふさわしいように

名づけられました。

 

2001年にプレミオに名前が引き継がれるまで

11代まで製造されました。

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下の写真は5代目コロナです。

1973年登場。

総排気量は1808CCに増えています。

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カローラ

1966年に登場したトヨタカローラ

800CC級のパプリカと

1500CCのコロナの中間に位置し

機能主義で商業的に成功しなかったパプリカに対し

デラックス感を備えた装備が大ヒットしました。

 

カローラ」は、英語で花の冠

花の中のもっとも美しい部分、花びらの集合体という意味で

人目をひく、美しいスタイルのハイ・コンパクトカー

をイメージして名づけられたそうです。

 

2015年には国内販売累計台数が1000万台を超え

日本を代表する国民車となりました。

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クラウン

下の写真は1955年に発売された初代クラウン・デラックスです。

真空管式ラジオやヒーターなど

当時としては高級な設備を備えていました。

排気量は1453CC。

最高速度は公称100kmです。

海外メーカーとは提携せず、純国産で造られました。

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下の写真はトヨペットクラウンのスタンダード版です。

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クラウンは、英語で「王冠」という意味です。

2020年現在も15代目のクラウンが作り続けられ、

今でもその歴史が引き継がれています。

カローラスプリンター

スプリンターは1968年から2002年まで作られた

カローラの姉妹車でした。

下の写真は1968年型の初代スプリンターです。

総排気量は1077CC。

 

セダンのみであったカローラをスポーツタイプの

クーペとして作られたモデルです。

 

英語で短距離ランナーという意味のスプリンター

公称最高速度は、カローラより5km上だったそうです。

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TOYOTA2000GT

1960年代前半、

競合する日産自動車はフェアレディ

本田技研工業はSシリーズという

スポーツカーを持っていましたが、

トヨタ自動車は、

対抗するスポーツカーを持っていませんでした。

 

一方、ヤマハ発動機は4輪部門の研究を重ねていましたが

多額の開発資金をかけたものの

4輪自動車の販売には至っていませんでした。

 

そして、トヨタ自動車ヤマハ発動機の共同開発で

このTOYOTA2000GTは1967年に誕生しました。

 

1970年に生産が終了するまでに337台が

生産されたそうです。

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トヨタ産業技術記念館 自動車館成長期編

トヨタ自動車の歴史

独自研究の必要性

豊田喜一郎氏は国産自動車を開発した後も、

自助努力による独自の技術開発が必要と考え

東京芝浦に研究所を設立しました。

 

1937(昭和12)年に豊田自動織機製作所の自動車部は

トヨタ自動車工業として独立し、

研究所もトヨタ自動車工業の研究所となりました。

 

そこでは、自動車関連だけではなく、

航空機や、戦時統制下には

ガソリンに代わる代替燃料の研究も行われたそうです。

 

豊田喜一郎氏の次のような言葉が残されています。

 

今迄の様に欧米に頼って人の苦心研究したことを最も楽をして自分のものにしようと云ふ気分は、段々なくしてゆきたいと思ひます。勿論人のやったものをそのまヽ輸入する必要もありますが、何と云っても苦心してそこまでもって行った者には尚それをよりよく進歩させる力がありますが、人のものを受けついだものには、楽をしてそれだけの知識を得るだけに、更に進んで進歩させると云ふ力や迫力には欠けるものであります。日本の真の工業の独立をはからんとすれば、この迫力を養はなくてはなりません。

トヨタ自動車75年史より引用)

 戦後の再開とトヨタの復活

戦後、乗用車の生産を禁じていたGHQ連合国軍総司令部)は、

1947(昭和22)年6月に

1500CC以下の乗用車の生産を年間300台に限り許可しました。

 

SA型乗用車は、1947年10月から1952年にかけて

197台が製造されました。

トヨタ自動車工業はは乗用車用シャシーを製作し、

これにボデー・メーカーが製作したボデーを架装して、

完成車に仕上げました。

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これが戦後トヨタ自動車の復活です。

モータリゼーションの幕開け

初代クラウン

1949(昭和24)年に乗用車生産の制限が解除され、

国情にあった自動車の開発が本格化しました。

初代クラウンはその先駆けとなったもので、

トヨタが独力で純国産技術により開発した

最高速度は時速100kmで

1956年「ロンドン・東京5万キロ」走行に挑戦、成功しました。

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大衆車の時代

日本経済は、1955(昭和30)年から1970年にかけて、

世界に類例を見ない高度成長を遂げました。

こうした経済成長に伴う確実な所得の上昇は、

個人消費の急速な拡大をもたらしました。

 

3種の神器(テレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機)の普及が一段落し、

「3C」と呼ばれる大型耐久消費財

新たに庶民の願望の的となりました。

カー、クーラー、カラーテレビのことです」。

 

自動車は、1960年代後半初頭の各社の1000クラスの

大衆乗用車の充実により、マイカーブームを招来しました。

 

トヨタ自動車工業は新しい大衆乗用車を

1963年5月にパプリカを発売したのです。

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しかしながら、価格は軽自動車並みでしたが

その装備類は極めて質素なものでした。

ラジオやヒーター、燃料計やサイドミラーも装備されず、

高級感を求めた大衆の「夢」からはかけ離れ、

商業的にはうまくいかなかったようです。

大ヒット トヨタカローラ

1966年にはトヨタカローラを発売、

機能主義で商業的には成功しなかった

パプリカの一つ上を行くデラックス感で大成功し、

世界的にも大ヒットしました。

累計販売台数は今でも世界第一位だそうです。

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リコール問題、対米輸出による貿易摩擦、交通事故への対応、

排出ガス規制、石油ショック等、

あらゆる社会的要請もありましたが、

こうしたことを乗り越えながらトヨタの今がある、

ということもトヨタ産業技術記念館に行けば見ることが出来ます。