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旅行やマイルの話を中心に、たまにグルメやラーメンの話など気ままなことを好きなように書いている大阪発信のブログです。

JGCプレミア修行で沖縄旅行 その2

首里城

首里城の歴史

首里城がいつ建築されたのかは定かではないようですが、1453年に尚巴志が三山を

統一して琉球王国が成立した時から、首里城を王家の居城として用いられるようになっ

たようです。

第一尚氏時代以降、第二尚氏時代になっても首里城が政治の中心として位置づけられた

とのことです。

何度も消失しましたが、そのたびに再建されたということです。

 

琉球王国とは1429年に成立し、1879年に明治政府に倒されるまで450年続い

た日本の南西諸島に存在した王政の国でした。

 

第二尚氏王統は初代国王尚円時代から第19代国王尚泰時代まで約400年続きました

が、1609年に薩摩藩が3,000名の軍隊をもって首里城を侵攻し、首里城を占拠

しました。それ以降、琉球王国は表向きは中国の支配国にありながら実態は江戸幕府

薩摩藩の従属国の関係にありました。

 

その琉球王国の政治の中心首里城は、中国や日本の文化の混合する琉球独特の城でした

が、太平洋戦争沖縄戦で焼失してしまいました。今あるのは1992年11月3日に復

元されたものです。

 

そして2000年12月に琉球王国のグスク及び関連遺産群として首里城跡が世界遺産

に登録されました。

守礼門

首里城のアクセスはゆいレール首里駅から徒歩15分位です。

首里公園入口から基本順路に沿って歩いていくと先ず守礼門に到着します。

2千円札の図柄ですって、2千円札ってまだあるのですか。

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ところで、今回訪れた日は天候不順で雨本降り且つ風もかなりの強風。

雨は想定外でしたので、かなり見て回るのに不便を感じました。

もう少し細やかに記事にできると思っていたのですが(←言い訳です)

正殿まで

歓会門から瑞泉門、漏刻門を通って正殿に向かいます。

かなりの急坂を登っていきます。

歓会門

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瑞泉門

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漏刻門

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正殿

ここからは有料区域になります。

入場料は820円です。

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御庭(うどぅん)です。

正面に見えるのが正殿になります。

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正殿に向かって右側の書院から中に入って内部を見学します。

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正殿には玉座(復元)、王冠(複製)、玉璽(複製)が飾られています。

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当時はこのような光景が広がっていたようです。

(模型)

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玉陵(たまうどぅん)

 玉陵とは

首里城の隣に玉陵はあります。

玉陵は1501年2代目国王の尚真王が父尚円王の遺骨を改葬するために築かれ第二尚

氏王統の陵墓となりました。

墓室は3つに分けられて中室は洗骨前の遺骸を安置する部屋、東室は洗骨後の王と王

妃、西室には限られた家族が葬られました。

 

沖縄戦で大きな被害を受けましたが、3年の精密な修復を経て往時の姿を取り戻して現

在に至っています。

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この玉陵も世界遺産の構成要件になっています。

玉陵の臓骨器

玉陵の墓室には遺骨を納めた臓骨器が全部で70基あります。

初代尚円王の臓骨器は輝緑岩製で細かい彫刻がありますが、その後石灰製、陶器製へと

移ってきたそうです。

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下の写真は玉陵の臓骨器ではありませんが、こうした中に骨が収められていたのです。

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最後の尚泰王の長男が亡くなられた時の葬儀の写真が資料館に飾られていました。

大正時代の民間人になった後のことですが、琉球王朝の往時を思い出させます。

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玉陵の今の姿

玉陵は細密にわたって復元され今に至っています。

その姿がこちらです。

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この中には入れませんが、この後ろに大きな3つの大きな寮母の各部屋が隠れているの

です。

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入場料はJALちゅらなび(飛行機の中で配布される割引チケット)割引込で

240円です。

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金城町石畳

石灰岩を敷き詰めて造られた道

琉球石灰岩が敷き詰められた道が首里城から続いていたそうです。

2代目王の尚真王時代に首里城と南の地域を結ぶ重要な道路として造られたそうです

が、戦争で大半が無くなり、現在は300m程度が残されています。

 

思いのほか急坂で、今日は雨。

4回ほど危うくひっくり返りそうになりました。

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首里金城町村屋

観光客用に休憩所として整備されたものですが、風情のある建物です。

休憩やトイレ、喫煙所もあるようです。

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ガジュマルの木です。

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今日も長くなりましたのでこの辺で。

次回も沖縄旅行が続きます。